【沖縄県那覇市】ペリー提督上陸之地 / 黒船来航、ペリー来航、幕末、沖縄

旅行と歴史

ここから、ちょっと深堀りして・・

ペリー 沖縄 幕末

キーワードを、さぐってみましょう。

ペリーが日本に来た理由

「ペリーが浦賀に来た」だけでは、歴史の教科書に載ったりしません。

外国船はその前から、何度も日本へ来ていましたから。

では、なぜ黒船来航が「事件」になったのでしょう?

ペリーは、日本に対し、国を開くよう要求したからなんですね。

武力をチラつかせて、です。

とんでもないですね。

なぜ このようにしてまで、開国を迫ったのか?

その理由を挙げてみましょう。

1、航路の開拓

当時のアメーリカは、太平洋の通商に遅れていました。

イギリス、フランス、オランダに比べ

アメーリカは…

通商を結んでいる国が多くありません。

いや、あの国、なんだっけ!?

日本、NIPPON!!

あの国は、どうだっ

まだ日本があるじゃないか!

2、捕鯨の寄港地

今でこそ、捕鯨、反対!と、叫ばれていますが。

江戸時代は、欧米諸国で盛んに捕鯨が行われていました。

クジラって、無駄が無いんです。☟ この通り。

150303 ヒゲクジラ(更新)

肉の部分はもちろん、骨も工芸品になったり、日本の食卓ともいえる、捕鯨の歴史。

しかしですね・・欧米では、照明用の油をとるためだけに、鯨を乱獲していました。

これでもかってほど捕ったので、近くではもう鯨が捕れません。

かと言って、遠くまで来れば、薪や水が足らなくなります。

ペリーは、捕鯨船の補給港を、日本に置きたかったのです。

日本捕鯨協会HP

https://www.whaling.jp/history.html

3、海外市場の争奪

「友好通商」と言ってますけどね。

脅しといて、友好もなにもあるかいっ!

ペリー提督率いる黒船艦隊は、2回に分けて、日本を訪れました。

日本政府(幕府)が、考える時間をくれっ とお願いしましてね。

2回目のペリー訪問で、日本とアメーリカは、通商条約 ではなく、和親条約 を結びました。

この記事の一番はじめ、「沖縄を見てみよう!」でも書きましたが、太平洋から上海までの航路に、沖縄がありますよね。

アメーリカは、中国との貿易に目を向け、日本に開国を要求。

対する日本も、貿易じゃないからイイヤ・・と要求に応じます。

いやー日本って、しがらみが スゴイ。

国を担う人ほど、しがらみを気にして、民衆が国を憂う。

なんとも言えませんね。ヽ(`Д´メ)ノ セイジッ!

この頃の、アメーリカ

メキシコとの戦争によって、最西部のカルフォルニアを獲得。

「大西洋」のアメリカは、「太平洋」の国となりつつありました。

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