【沖縄県那覇市】ペリー提督上陸之地 / 黒船来航、ペリー来航、幕末、沖縄

旅行と歴史

ペリーのアメーリカ艦隊。

「日本が国を開かなければ、沖縄を占領してやろう!!」

浦賀の前に、沖縄へ立ち寄ったのは、そんな目論見があったから。

ここで、ちょっとその先の歴史「浦賀での出来事」をまとめてみました。

鎖国を断念

1853年

アメーリカ東インド艦隊司令長官 ペリーが、4隻の軍艦を率いて、浦賀沖に現れます。

「フィルモア大統領の国書をお渡ししたい。」

「薪水の補給、ナンパ民の保護を求めたいのです」

BY ペリー

ギャ────∑(゚Д゚; )────ァァッ!! 慌てる日本・・

そう思っている人が多いと思いますが、日本はそこまで、ダメダメじゃないんです。

皆さまに紹介したい人物、それは 林大学頭(はやしだいがくのかみ)。

またの名を 林復斎(はやしふくさい)。この方、ものすごく素敵なんですっ!!

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長崎行きを拒否したペリー艦隊は、江戸湾深くに侵入。

時折、時報がわりの大砲を撃つなど強硬姿勢を崩さない。

国書を受け取った幕府は、翌年の返答を約束して黒船を去らせた

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臨場感たっぷりに要約してみました。

交渉にあたった林復斎、ペリーを知力で追い返してしまうのです!!

この辺りは、浦賀に行ったら書きたいと思います。

1854年

カルフォルニア割譲で太平洋岸に進出していた、アメリカ。

「貿易じゃなく、港を開くだけです」と、日本。

そして、下田、箱館、2つの港を開くことを約束します。

ペリー以外の外国人

【露】プチャーチン:1853(嘉永6)年、1854(嘉永7)年

だいたい同時期に、日本へ来た人物。

ペリー艦隊の航路

1852年11月

イギリス・ノーフォークを出発

マディラ諸島 ☞ セントヘレナ島 ☞ ケープタウン ☞ モーリシャス島 ☞ セイロン島 ☞ シンガポール ☞ マカオ・香港 ☞ 上海

1853年5月

沖縄へ上陸

小笠原諸島 ☞ 日本・浦賀

ペリーの読んだ「日本」

ペリーというのは、軍人です。代々つづく海軍の家系に生まれ、地位も高かったようです。

日本へ行くこととなり、ただ武力行使で押し通そうとしたわけではありません。

日本人との付き合い方をかなり調べてから来ています。

外国人が書いた「江戸時代の日本」

【独】ケンペル:『日本誌』1690(元禄3)年

【露】ゴローニン:『日本幽囚記』1811(文化8)年

【独】シーボルト:『NIPPON(日本)』1823(文政6)年、1859(安政6)年

【英】マクファーレン:『日本、その地理と歴史(通称:日本1852)』1852(嘉永5)年

しっかり学んできたペリーに対し、林復斎 はペリーの想像をはるかに超えていた、ということでしょうか。

( 〃∇〃) キャーーーッ

それとも、外国人は日本人を誤解してるのでしょうか…

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