姉妹 盟約 三十五周年 記念碑
ふたたび、” ゆきえ と みやび ” の図。
この 平田靱負の像の下に・・
鹿児島 & 岐阜 を繋ぐ、証が刻まれています。
薩摩義士碑
また、別の記事で詳しく書きますけどね。
宝暦治水 は、平田靱負 ならびに 80人以上の犠牲者 を出しました。
薩摩義士だけでなく、幕府の役人も、この悲惨で過酷な労働に対し、命を賭して抗議を行いました。
その尊い命の供養塔 ☝ (平田公園とは別の場所にあります)
見て、涙がこぼれました。
金の話ばかりで、すみませんね。
1人の人間が、200億円の金 を背負うんですよ。
薩摩のため、美濃の民のため、皆のため。
借金の出どころ
「これ以上の(借金)増額は この平田にもどうすることも出来ぬ」
平田靱負が奔走した 三十万両の金策は一つは 薩摩とくいの 密貿易品の売りつけと(高貴薬・鼈甲・象牙・香木・織物など)もう一つは 奄美、与論島、沖永良部島から採れる砂糖を担保にした借金である漫画「風雲児たち」ワイド版③巻より
「今でさえ南国の領民に はかり知れぬ血の汗を要求しておるのだ・・・」
「少なくとも今後十年 凄まじい地獄を味あわせることになろう」
「この平田 人間ではないっ」と、大変な苦悩を描いています。
薩摩に虐げられた人々のことも、記憶に留めておいてください・・
辞世の句
平田公園には、平田靱負の辞世の句碑が。
ー 辞世の句 ー
住みなれし 里も今更 名残にて 立ちぞわづらふ 美濃の大牧
平田 靱負
木曾三川の松林
こうして、1年2か月の歳月をかけ、完成した治水工事。
木曾の川沿いには、薩摩の松の木が植えられています。
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