【京都府京都市】安井金毘羅宮 /怪談:縁切り神社、縁切り縁結び、恨み、妬み、痴情、男女

国内旅行:京都府京都市

あとがき

今回のテーマ・縁切神社「安井金毘羅宮

年末年始、久しぶりの友人に連絡しまして。

「みやび、最近どう? 何してんの??」

『あー、呪い 調べてる』と言ってしまいました・・

時間をかけて、縁切り神社の記事を書いてる。そう言えば良かった( ´艸`)ハンセイッ

ちなみに、わたくし、呪うより、呪われてるって言葉の方がしっくりきます。

恨まれてることに気付くことなく、生きてそうですし。

なんと言いますか、呪うエネルギーは莫大なのでね。

その力は全て、書くことに費やしたいです。

まてよ・・

ブログが遅筆なのも、体調不良も、あれもこれも、誰かに祟られてるのでは・・?!

最近読んでる、小松和彦 ☟数冊持ってます

人は、独りで生きてはいけない生き物。

そんな社会で、恨み・呪いの気持ちを持つことなど、当然のこと。

悩める読者の気持ちが、少しでも軽くなりますように。

あなたの旅の参考になれば、幸いです。

読者からの情報

ラブホテルが立ち並ぶ

他人が切った悪縁が憑くって事で、地元民は近付かない。

磁場も悪くて、まわりにラブホが建つ。

「崇」徳の漢字

間違う人が多いのですが、「崇」と「祟」は別な字です。
崇徳上皇の「崇」は「崇(あが)める」と読み、「祟」は「祟(たた)る」と読みます。

崇の字

「祟る天皇」に諡されることが多い。「徳」も非業の天皇に付けられることが多く、後の顕徳天皇も祟ったため、顕徳帝は後鳥羽天皇と諡が変更され、以後諡に徳の字は使われなくなったそうな。
(そのため、後鳥羽天皇は重祚せず、諡を二つ持つ唯一の天皇となっています。)

崇徳上皇の人物像

崇徳天皇は真面目で心根の優しい人でした。
けっして、”祟り”を起こそうなんて考えておられなかったと思います。
また、崇徳天皇の『崇』は「山」かんむりに「宗」と書きます。“祟り”の『祟』は「出」の下に「示」です。すなわち、「出て示す」、まさに”祟り”です。
残念なことに、崇は「祟」とよく似ており、一見すると同じ字に見えます。しかし、この2つは、まったく別の意味を表します。注意が必要ですね。
最後に、和歌を一首。
 瀬を早み 岩にせかるる 滝川の 
   われても末に あはむとぞ思ふ
この素晴らしい和歌を残されたのは、崇徳天皇です。

縁切神社、参拝後

「貧乏神と縁が切れますように」とやったら、いきなり職場の人間関係が悪化した。

金毘羅宮は、氏神様

こちらで、結婚式を挙げました。

自分と、縁切り

人を別れさせる事を祈る人もいるけど、それはダメな事必ず自分に帰ってきます。
だらしなさや、ダメな自分などにでも縁切りできます。そして縁結びも 怖くはないですよ!

(Facebook・Twitter にて、受付中!)

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