西南戦争
1877年 西南戦争
「新政府 VS 薩摩」
スナイドル銃
鹿児島・私学校跡
禁門の変から、12年余・・
戦の傷跡
西南戦争の銃弾跡。
コンクリートを突く、この威力 ☟
連射、可能になったんだ・・と気付きます。
歩兵銃
スナイドル銃は「歩兵銃」
こんな感じで、使います。
薩摩、銃に倒れる
薩摩軍:エンフィールド銃
政府軍:スナイドル銃
薩摩軍は、ひと昔前の武器しか入手できず、政府軍は、十分な武器で戦いました。
精鋭の薩摩武士を討ち滅ぼしたのは、軍人として学んできた者ではなく・・素人たち。
みやび コメント
日露戦争までも・・
わたくし、先日 こんな記事を書きました。
過去の記事 ☟
【鹿児島県鹿児島市】城山展望台 / 旅行記:西郷隆盛、西南戦争
噴火した桜島・・ 絶景・鹿児島の旅!
西郷隆盛 を訪ねて♬
わたしのこと
わたくし、みやび ひまり (雅 陽葵) と申します。
『歴史スキ!旅行スキ!』で、このブログ ”旅行と歴史”を書き綴っています。
読んで...
薩軍 300人 VS 新政府軍 4万人
Σ( ̄□ ̄|||)ヨンマンッ コピペッ
明治政府の軍隊は、ですね・・
外国の新兵器を買い集め、鉄砲の弾を雨のように撃ち・・1000倍以上の兵を動員して・・
薩軍を制しました。
西南戦争の後も、日本は、戦争!戦争!戦争!と大変な時代に突入していきます。
日本の近代化
西南戦争で、武士の世は 幕を閉じた・・
もし、薩摩藩主・島津斉彬が生きていたら?日本の歴史は、全く変わっていたと思います。
藩だけでなく、日本の強化・改革を推し進めようとした名君です。
斉彬の没後から、約20年。才ある人物が、命を落とし・・
多くの戦が、続いていったのです。
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