西郷と板垣
西南戦争の、ちょっと前。なんで、戦争になっちゃったの? ってトコを探ってみましょう。
元々、西郷ドンは新政府の要人。新政府内で意見が分かれて、抜けることになりました。
その問題とは、征韓論 VS 内地派 政府内の対立 ☟
征韓論:お隣・朝鮮半島へ出兵すべき!(留守政府/西郷隆盛・板垣退助)
内地派:まずは国内政治を整えるべき!(使節団/大久保利通・木戸孝允)
征韓論
征韓論を唱えた人物!として 西郷と板垣、 なんだか一括りとなっています。
「じゃねこつゆな。(鹿児島弁:違うことを言わないで)」と、言われそうです。
わたくし、念のため、2018年発行の山川(歴史教科書)を読み直してみたのですが、やっぱり2人一括りに ”征韓論者” として、載っていますよね。
しかしですね、朝鮮の対応に立腹したのは、板垣退助。
西郷ドンは、はじめから武力制圧を唱えてはいなかったのです。
まず相手の話しを聞こう、と。
新政府を退き・・
その後、板垣は、自由民権運動。西郷ドンは、西南戦争。
西郷と板垣、両名共に新政府と対立するのですが、それぞれの戦い方は異なりました。
結論:西南戦争をもって、武士の世は 本当の終わりを告げた。
でも・・ねぇ・・ 西郷ドン。漢気あるなぁ、皆のリーダーだなぁ、と思ってしまうのです。
My life is in your hands… (´;ω;`)ウッ
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