平岡円四郎、無念の死
平岡 円四郎 、慶喜を将軍にすべく奔走。
したのですが… 将軍になることを知らず、亡くなりました。
慶喜、京都での居住地 ☝︎ 平岡、没ごろ
遺体は、京都で荼毘(火葬)に伏され、江戸へ。
さて先日、こんな言葉を耳にしてまして。
「一人が抱えられるものなんて、限られてるのよ。
大きすぎるものを抱えてしまえば、他を小さくするしかない」
マツコ・デラックス
しかし、ねぇ・・ 「徳川慶喜」って人生は。
大きすぎるもの=日本一国 を抱える人生、だったワケで。
大きすぎる期待、責任、運命・・一人が抱えられるはずなどなく。
平岡円四郎 は、「徳川慶喜」を、一緒に抱えようとした人でした。
悲しきかな、無念の死・・ そんな人物を追ってみます。
次「平岡と一橋家」☞
コメント
興味深く読まさせていただきました。新名所になりそうですね。
コメントありがとうございます。
初めていただいたコメントでしたので、とても嬉しかったです(〃ω〃)♪ 墨田区はスカイツリーが有名ですが、歴史もたくさんあります。多くが戦火で焼かれ、辛く悔しいのですが… 平岡円四郎の墓所など、新名所になったら素敵ですね!
本日(6/28)私どもも本久寺さんにお伺い致しました。
お寺の方にお話しを聞いたところ、三つ墓石があるうちの右端が平岡凞、左端が平岡円四郎とのことでした。
関東大震災でやられてしまって、とのことで原本は無いとのことでしたが、円四郎の元治元年の没年日の記載がある墓跡の帳面の写しを奇跡的にも拝見させていただきました。
ブログが非常に丁寧に書かれており、ついコメントしてしまいした。
今後も拝見させていただきます。
ワハハ本舗歴史部さん
Twitterにもコメントいただき、ありがとうございました。お陰様で、歴史を楽しみたい皆さんとの情報共有ができ、感謝、感激、雨あられでございます٩( ‘ω’ )و
私も、YouTube動画やSNSなど楽しませて頂きます。これからもどうぞよろしくお願い致します。