わたしのこと
🎍明けましておめでとうございます🎍
直弼公の話し言葉
最近読んでいる本について、ダラダラと。
相変わらず、井伊直弼に関連した本ばかり読んでいまして。
私は、直弼公の話し言葉、つまり方言・訛りについて追ってます。
言葉について…
あの小和田哲男先生にも、直接質問させていたほどなのです。
(しがフェスタ2022講演後サイン会にて)
「井伊直弼は、部屋住みでずっと彦根に居ましたが、、、話し言葉は彦根弁(町人言葉)でしたか? それとも標準語(武家言葉)でしたか?」
「直弼公は、身分があるから武家言葉だろうな」
この、小和田先生のお言葉を信じていなかった訳ではありませんが、、
話し言葉とは音であり、対話の相手が使う音を憶えてしまうもの。
30年ちょい彦根に居て、関西の学者と広く交流していた直弼公が、標準語で話すのにはなんだか違和感がありました。
そんな、私の疑問が確信に変わる記述を発見。
直弼公は彦根藩主らの前で、彦根弁で話していたことが判明しました!
井伊達夫氏の著書
『井伊直弼史記 若き日の実像』より。
若かりし頃の直弼公
内容を取り上げてみます。
井伊氏と交流のあった、京都在住の鈴木氏という方が居ました。
井伊先生は、鈴木氏から直弼公の話をたくさん伺っています。
この鈴木氏のお祖父さんが、鈴木 源蔵という彦根藩の下級武士でした。
部屋住みだった直弼公の御伽助役に就いており、直弼公の傍に仕えていましたから、ものすごく直弼公を見ています。
直弼公の手癖、人と為り、そして直弼公が話していた言葉と彦根弁で話していた裏付け…
鈴木源蔵に話した言葉を例を挙げると、こんな感じです。
「鈴木よ、坊ンさんなんて悟りとか何とかいうけどな。あれは楽な商売ヤデ。坐っとればくらせる。結構なもんやナァ」
(仏教を学んだ直弼公の吐露)
とても面白い1冊です。直弼公の言葉が剥き出しで描かれているのですから。
直弼公の人物像に迫る
話を少し変え、直弼公が語られる際のことを。
『埋木舎での部屋住み時代、3時間の睡眠で、勉学に励み続けた』
多くの書物で、こんな書かれ方をしていますけれど、、
その実、『神経質で眠れなかったのではないか』?
直弼公を思うと、内情はこんなところではないか。
私は、感性の鋭い芸術家気質の直弼公に魅力を感じてます。
直弼公のような感受性の豊かな人は、敏感で繊細です。
狭い埋木舎にギッシリ詰まった人々、人の音に、劣等感に苛まれ、眠れない。きっとそうではないかと思います。
多彩な芸術家肌の一面も、ご紹介しますと。
『一期一会』
この言葉は千利休の精神ですけれども、直弼公が広めた言葉としても知られています。
直弼公は、先人・偉人の言葉を深く受け止めて、分かりやすく伝える才能があります。
時と場面に応じて、芭蕉の和歌やら直ぐに語れるような沢山の引き出しを持っていますし、頭脳明晰で優秀な人物です。
神経質が故に、大老を任されて舵を取った際に反対勢力を徹底的に排除してしまう行動を取ったのかもしれませんね。
直弼公の直向きさ、変貌を遂げた晩年… ずっと本を読んでいたいほど、めちゃくちゃ面白いです。
つづく。
あとがき
書き上げられた〜(´༎ຶོρ༎ຶོ`) ウレシイ
私の『井伊直弼を巡る旅』は、自宅でもできてます😭😭 続けています😭😭😭
書き途中のものが、自分のみ公開設定で5〜6ほど温存されていまして、、
いっぱい書きたい… 読みたい…
ご無沙汰になってしまいましたが、皆さまのコメントやいいね!に元気をいただいています。
それでは皆さま、
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