わたしのこと
東京から、滋賀の魅力を発信します💕
しがフェスタ
先日、しが体験フェスタに行ってきました!
イベントの目玉はいくつかありました。ひこにゃんと2ショット、信楽焼や近江の茶マイボトルを作る、、
そして、彦根城 歴史セミナー『彦根井伊家の歴史とその謎に迫る』‼️
私にとって、歴史セミナーは目玉の目玉。講師は、あの小和田哲男先生💕ご講演を聞いてまいりました✨
大見出しは、4つに分かれます。
謎1、なぜ井伊氏は徳川譜代筆頭になったのか?
謎2、なぜ井伊家は彦根城を築いた?
謎3、江戸時代の井伊家はどのような役割を果たした?
謎4、彦根城の歴史的な価値とは?
今回は、謎1の2を。小見出しはコチラ。
①井伊直政の活躍
②徳川四天王
③関ヶ原の戦いと井伊直政
前回は、②の徳川四天王についてご紹介しました。
どうして、徳川四天王と呼ばれるようになったか?
戦国時代のこと、武功を挙げたからですよね。
井伊直政の活躍について
直政のめざましい活躍は、天正の『高天神城攻め(武田VS 徳川)』から。
水の城を攻め落した、とお話されていましたが、家康は『忍び』を味方につけていたなんて話をよく聞きますよね。
「高天神を制するものは、遠州を制する」とまでいわれた城です。
近江に来る前の井伊家は、遠江(遠州)を治めていましたから、、、
家康がこの城を制することに対し、直政は並々ならぬ思いがあったように思います。
さて、高天神城。
徳川・武田の両雄が攻防戦を繰り広げた戦場で、東海一の堅塁を誇った山城です。
鶴翁山の地形を巧みに活かした高天神城は「難攻不落の名城」
しかし、家康の兵糧攻めに遭い落城しました。
私の学びにも、井伊家と彦根城の面白秘話がありますので、書いていきたいと思います。
あとがき
今回のテーマは、先生の講演を必死に書き留めたのですが、戦国時代に明るくない(無知)私は基礎知識がなく、、、
先生の話は分かりやすいし、わかったつもりですが、私に予備知識が無いと面白い記事は書けません。
せっかくなので、この貴重なお繋がり、かつ、歴史好きの皆さまに教わりたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。
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