2022年7月8日、元総理の安倍晋三氏が銃で撃たれて亡くなった。
あれから2ヶ月、TVをつければ「国葬、賛成か反対か」と議論がなされている。
わたしのこと
井伊直弼を訪ねて
事変の当事者は、歴史の教科書に必ず出てくる 井伊直弼。
その役職から、大老または掃部頭(かもんのかみ)と呼ばれていた。
井伊掃部頭は若かりし頃、埋もれゆく部屋住み、跡取りになれない冷や飯食いである自分の人生をなぞらえ、居所を『埋木舎』と名付けた。
私はこの風流な人物を追って、滋賀県彦根市へとやってきた。
桜田事変
今年は『桜田門外の変』に似通った年。
これらの報道から、私は日本に起こった歴史的事件を思い浮かべていた。
江戸の大老、今でいう総理大臣の暗殺事件が起こったあの『桜田門外の変』である。
類似というのは、天気にもある。3月22日に珍しく大雪が降り、水戸では降雪3㎝にも及んだ。
時は江戸幕末、3月もまもなく終わる春分の頃。
(『桜田門外の変』のあった日、安政7年3月3日とは旧暦)
入念な準備を整え、水戸浪士17名と薩摩藩士1名で構成された桜田十八烈士。
大名行列の見物客を装い、井伊掃部頭を襲撃。
身体を貫いた銃弾が致命傷となり、井伊掃部頭はあっけない最期を遂げた。
幕府の失墜
これが有名な『桜田門外の変』の経過だが、、、暗殺されたことまでは知られていても、その後の彦根藩を知っているだろうか。
大老とは、幕府の中枢を担う総理大臣と同等の役職である。
今に置き換えれば、政治家のトップが国会議事堂前で襲われるようなもの。
幕府の事後対策、これまたひどく情けない。
江戸時代の天下太平とは言え、当時は武家政権。
己の不覚による死を迎えた場合、お家断絶・所領没収と決定づけられている。
順当に処理してしまえば、藩主である井伊掃部頭を失った彦根藩はお取り潰し。
名君無くして行き場までをも失えば「彦根浪士」はどんな行動にでるか‥
『徳川御三家・水戸 VS 筆頭譜代・彦根』
日本を揺るがす大激闘!!…これはマズイ!
権威の傾きつつある幕府は、井伊掃部頭の死を病死として扱い、彦根藩の存続を正式な手続きをもって進めた。
首を取られてしまった井伊掃部頭の死を『怪我』→『病死』として片付けたのである。
当然、世間は大笑い。皆が知る大事件なのだから、幕府の対応に呆れてもう笑うしかないのだ。
会津の悲劇、本来は
格式高い井伊家の名誉となる『京都守護職』もはく奪され、会津・松平家が後任となる。
井伊家が免職されずに『京都守護職』のままで在れば、後の会津の歴史は、彦根の悲劇になったかもしれない。
埋もれず人生を終えるも、笑いのネタとされた井伊掃部(良いカモ)。
『埋木舎』への想いはつのる。
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