【滋賀県彦根市】井伊直弼を訪ねて④ / 埋木舎、桜田門外の変、総理暗殺、彦根

旅行と歴史

2022年7月8日、元総理の安倍晋三氏が銃で撃たれて亡くなった。

あれから2ヶ月、TVをつければ「国葬、賛成か反対か」と議論がなされている。

わたしのこと

みやび ひまり (雅 陽葵) と申します。

旅行好き、歴史すき、桜田門外の変に所縁ある人です。

政治と野球、特定の応援はしてません、悪しからず!(/ω\)

井伊直弼を訪ねて

事変の当事者は、歴史の教科書に必ず出てくる 井伊直弼

その役職から、大老または掃部頭(かもんのかみ)と呼ばれていた。

井伊掃部頭は若かりし頃、埋もれゆく部屋住み、跡取りになれない冷や飯食いである自分の人生をなぞらえ、居所を『埋木舎』と名付けた。

私はこの風流な人物を追って、滋賀県彦根市へとやってきた。

桜田事変

今年は『桜田門外の変』に似通った年。

これらの報道から、私は日本に起こった歴史的事件を思い浮かべていた。

江戸の大老、今でいう総理大臣の暗殺事件が起こったあの『桜田門外の変』である。

類似というのは、天気にもある。3月22日に珍しく大雪が降り、水戸では降雪3㎝にも及んだ。

時は江戸幕末、3月もまもなく終わる春分の頃。

(『桜田門外の変』のあった日、安政7年3月3日とは旧暦)

入念な準備を整え、水戸浪士17名と薩摩藩士1名で構成された桜田十八烈士

大名行列の見物客を装い、井伊掃部頭を襲撃。

身体を貫いた銃弾が致命傷となり、井伊掃部頭はあっけない最期を遂げた。

幕府の失墜

これが有名な『桜田門外の変』の経過だが、、、暗殺されたことまでは知られていても、その後の彦根藩を知っているだろうか。

大老とは、幕府の中枢を担う総理大臣と同等の役職である。

今に置き換えれば、政治家のトップが国会議事堂前で襲われるようなもの。

幕府の事後対策、これまたひどく情けない。

江戸時代の天下太平とは言え、当時は武家政権。

己の不覚による死を迎えた場合、お家断絶・所領没収と決定づけられている。

順当に処理してしまえば、藩主である井伊掃部頭を失った彦根藩はお取り潰し。

名君無くして行き場までをも失えば「彦根浪士」はどんな行動にでるか‥

『徳川御三家・水戸 VS 筆頭譜代・彦根』

日本を揺るがす大激闘!!…これはマズイ!

権威の傾きつつある幕府は、井伊掃部頭の死を病死として扱い、彦根藩の存続を正式な手続きをもって進めた。

首を取られてしまった井伊掃部頭の死を『怪我』『病死』として片付けたのである。

当然、世間は大笑い。皆が知る大事件なのだから、幕府の対応に呆れてもう笑うしかないのだ。

会津の悲劇、本来は

格式高い井伊家の名誉となる『京都守護職』もはく奪され、会津・松平家が後任となる。

井伊家が免職されずに『京都守護職』のままで在れば、後の会津の歴史は、彦根の悲劇になったかもしれない。

埋もれず人生を終えるも、笑いのネタとされた井伊掃部(良いカモ)。

埋木舎』への想いはつのる。

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