【東京都千代田区】昌平坂 / 勤務地、平岡円四郎、青天を衝け、昌平坂学問所

国内旅行:東京都文京区

養父・平岡文次郎

平岡の養父・平岡文次郎の勤め先 ☟

裏門 切手番頭(うらもん・きってばんのかしら)

江戸城本丸・切手門(きってもん)の警備職。

内容:大奥の女性たちの手荷物検査

女性の荷物覗いて、(*´Д`)ハアハア しちゃうなら、天職だったかもしれない(笑)。

いずれ、養父の跡を継ぐ!?

なーんて。

平岡円四郎 のイメージでは、ありませんね。

一橋家

平岡円四郎、歴史に名を残すキッカケになった就職先。

1853(嘉永6)年)、一橋家・家臣に。31歳

勤め先なんて、自分に合うか、合わないか。

平岡は、一橋家だからこそ、頑張ろうって気になれたワケです。

才能を高め合う関係が、勤め先(会社)と築けるかって、とても大切ですよね〜っ

(みやび、タイムリーネタ)

次「御三家、御三卿」 ☞

コメント

  1. 吉盛と申します。 より:

    湯島聖堂や昌平坂を訪れる方は少ないです。歴史通と称される方でも知らない者は多いです。此処を訪れた貴女は渋い!!幕末外国奉行を勤めた旗本は幕府きっての俊英、みな此処で学んでいます。学長であった林羅山の系統の林大学頭家は明治に絶家となりましたが牛込に墓所があり史跡となっています。孔子像とのツーっショットには思わず噴きました。

    • みやび ひまり より:

      お読みくださり、光栄です。
      返信が遅くなってしまい、申し訳ありません(汗)。

      黒船と交渉した「林大学頭」が大好きなのですが、絶家してしまったのですね・・
      ( ノД`)シクシク…

      今度、その牛込も墓参りに行ってまいります!
      情報&コメントありがとうございました。

最近のコメント

タイトルとURLをコピーしました