【東京都中央区】桜田事変をゆく① / 桜田門外の変、井伊直弼、井伊掃部頭邸跡、憲政記念館、彦根藩江戸上屋敷

旅行と歴史

あとがき

彦根城博物館のHPを見ると、「水戸の徳川斉昭が嘘をついたから」とあります。

https://hikone-castle-museum.jp/history/pdf/naosuke.pdf

「格式高い彦根藩が、子どもにこんなこと教えてるのか」と微妙な心境です。

みやび拝

読者からの情報

名城と彦根の人

私は、彦根生まれで、彦根城を見ながら育ちました。現在は横浜住まいながら、彦根城が大好きで「彦根城を語る会」をFBのグループとしてたち上げています。彦根城を中心にしていますので、あなたとは視点が異なると思いますが、御興味があれば覗いてみてください。

戦争で失われる歴史

大阪もそうですが東京は戦時中の空襲、戦後の高層ビル建築、さらには町名の変更などでお江戸の風情が全くなくなりました。京都などで江戸時代の風景や町家が残っているのと対照的。上野界隈くらいですかね、少し残っているのは。また水戸家は幕末の内ゲバで多くの人材が失われて姿消しました。(水戸天狗党の乱参照)

水戸の衰退

水戸藩は最初は勤皇のトップだったけど引き続く藩内抗争の内ゲバで人材が枯渇して維新の際には活躍出来なかったそうです。

櫻田十八烈士、その後

お疲れ様です。水戸藩がわの生き残りの方がいらっしゃいます。初めてこの事実をしったときは驚きました。

東京旅行

おはようございます。年齢を重ね一人の時間が増え 一人旅でもと、しかし旅館などは、手を出せずビジネスホテルどまりで悲しんでいましたが、みやびさんの 投稿を拝見して めから鱗でした

関西の視点で

大変興味深い記事をありがとうございます♪当方関西在住なので、彦根城など馴染みの深いところです。歴史的大事件の痕跡を求めての旅は奥が深く、勉強になります。単なる観光旅行より収穫するものが多いと思います。

彦根、文化と銘菓

先ず彦根というと、銘菓「埋れ木」がパッと浮かびました。井伊直弼公が青年時代を過ごした「埋れ木の舎」から名前が付けられたお菓子ですが、井伊家というとそんな所に根本がある様な気がしてなりません。

井伊家の菩提寺、豪徳寺

この春豪徳寺に行ってきました。素朴で、偉ぶった雰囲気のまったくないお寺でした。

歴史の誤解

いつの世も権力者は思い込みは早く飲み込みの遅い者かも安政の大獄の井伊直弼も🇷🇺のプーさんも(笑)

お勧めの番組

テレビ番組の紹介ですが毎週月曜日、22時から22時54分、BS-TBSの「にっぽん!歴史鑑定」次回の放送は「明治維新の先駆者 吉田松陰の素顔」旅のヒントになるかもしれません。

近江牛と水戸

当時スパイが活動しているのですが、水戸の密偵は彦根の事を赤牛🐂と呼び、彦根藩の密偵は水戸の事を国賊と呼んでいたそうですね。漫才的俗説では、彦根藩主井伊家から水戸藩主に代々贈呈していた牛肉の味噌漬を、直弼の代になってから贈らなかった、精力絶倫、肉食系斉昭の、この恨みが水戸と直弼の確執になったという説もあり。😄😄斉昭の側室9人子供37人これは史実なり。

嬉しい言葉

さすが、一級品の歴女、中味が濃いね!

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