【鹿児島県南九州市】戦争と向き合う③ 百田尚樹『永遠の0』⑵ / 特攻隊員の末路、知覧、沖縄戦、戦争史跡

旅行と歴史

わたしのこと

東京で、タクシー乗務員をしております みやび と申します。

※ネタバレあり

紹介いたします『永遠の0』という作品は、戦争で亡くなった宮部久蔵を、現代を生きる孫が追う話です。

宮部は、特攻で命を落とします。

作中に描かれなかった特攻の末路

この作品の出だしは、特攻で敵艦に突っ込んでゆき、主人公の遺体を米兵たちが手厚く葬る‥ そんな描写から始まります。

激戦地となった沖縄へ飛行機を飛ばす特攻隊の基地が鹿児島の町・知覧にありました。

今更ですが、沖縄の隣に鹿児島があります。飛行機を飛ばす原料となる石油が日本にはほとんど残っていませんからね。

全国各地の優秀な若者が、列車に揺られて鹿児島へ向かい、特攻隊員となって沖縄で散った訳です。

私がこの知覧へ行った時、飛行機とバスに乗ってもかなりの時間を要しました。戦中に知覧へ行けば、これよりも遥かに時間がかかったことでしょう。

作中に、特攻で散った主人公の身体が真っ二つになったと書かれています。私はこの町の資料館で、突撃した特攻隊員の末路を見ました。米軍が収めた写真です。

目を背けたくなるような無惨な遺体で、特攻とはかくも悲しい歴史なのかと思いました。

アメリカ軍の迎撃

1944年6月に勃発したマリアナ沖海戦において、アメリカ軍は日本の軍機を新兵器のレーダーでいち早く探知し、一方的に撃墜しています。

「マリアナの七面鳥撃ち」と呼ばれ、米軍にとって日本軍の攻撃などレーダーで容易に狙撃できてしまったのです。

つまり、狩りの感覚です。

自分が死ぬとしたら、ブヨブヨになって魚の餌になるか、敵の軍艦に内臓をぶちまけ処理されるか、どちらが良いかなんて分かりません。どんな思いを胸に秘めて飛び立ったとしても。

特攻についての軍の考えは、まとまった力(多くの人の死)によって敵の戦意を喪失することにあったようですけど、、、負の歴史ですよね。

死の力ではなく、生の力で、優秀な若者を生かして活かし、復興に務めた方が良いことは、言うまでもありません。

熟練パイロットから教官へ

宮部久蔵は、熟練パイロットです。教え子らが成功しなかった着弾も、不発に終わりましたが果たしました。

その操縦方法は、レーダーの死角となる水平線の海面ギリギリから飛行し、標的の敵艦に体当たりするものです。(だったと思うのですが‥)

私の所有する『写真が語る 特攻伝説』という本から抜粋します。一覧表をご覧ください。

とんでもない高度から急降下する攻撃は、気温も気圧も桁違いに変わります。寒すぎるし、呼吸もできないでしょう。山に登ったって辛いのに、飛行機で行ける限り高みに上がるなんて、正気の沙汰ではありません。

必ず死ぬものですから、練習などできません。一回こっきりしか、チャンスはないのです。それが特攻です。

必ず生きて帰るつもりだったのに、最期には死を決めた宮部。

語り部の最初の人物は、「臆病者だった」と宮部のことをなじりましたが、特攻で死んだことは戦友会の中で語られなかったのでしょうか? 話題になりそうですけど‥

主人公たるもの、急に気持ちが変わったのならば、その心境の変化は細かく書いていただきたかった。作中でサラッとしか触れられていないのが残念。

着目すべき、特攻と死

特攻は、当事者も、周囲の人も、色んな思いを抱えてます。死なねばならなかった彼らと、その死を見送った人々と。

『永遠の0』は、そんな人々の思いを描いた有名な作品であります。

しかし、報われない死と、グチャグチャに飛び散った遺体というのが、本来語られるべきことなのかもしれません。

戦争を目の当たりにして、それでも人々は生きようとします。生きようとする人はかくも美しいけれど、戦争の惨さ、特攻の愚かさと恐ろしさこそ、着目すべき事柄ではないでしょうか。

つづく。

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