気持ちを、グダグダと
自問自答
この案、実はかなり前から出ていました。
しかし、こんな気持ちで躊躇していました ☟
私は、しょせん自分の好きな事を書いているだけでしょう?
人の役に立っているか分からないのに、どうして支援など求められるの?
自己満足にしたくない
書いているのだから、読まれる!と思うのは間違いなんですよね。
(そういうブロガーさんが居た)
十人十色で色んな読み方・受け止め方があるけれども、読む人の顔を想像しなければ、自己満足で終ってしまう
そう考えたのです。
ブログの勘違い
ブログを書こう!と決めた1年前。私は、多くのブログを読みました。
読んで、色んな勘違いをしました。
たとえば、歴史ブログは学術的に書く の思い込み。深い内容では、気軽に読んでもらえません。
たとえば、旅行ブログは美しい写真で の思い込み。現地で どんな気持ちになったか が伝わらなければ、個人のものなど読まれません。
SNSとキャッチコピー
自分の文章を見直し、人の書くSNSも、1日3時間以上見ていました。
読んでもらえるブログを書けるようになったのは、先人の投稿と模倣のお陰です。
それでもいつしか「ブログを参考にしていては、自分の夢は形にできない」と思うようになりました。
実は、数か月前からネットで得る知識を信じることが出来なくなっていたのです。
旅行。
現地で見て、自宅に帰ってから情報収集するのが、お決まり。先入観を持ちたくなかったからです。
歴史。
似たり寄ったり、有名・無名に関わらず 誤りが広く周知されています。情報としては便利ですし、その時を知るには素晴らしく、大いに活用すべきです。
しかし、責任を取るつもりのないものを読んで、その知識を蓄え発信し、その先どうする?
大人ですから、いつだって 答えは自分で決めなきゃならないんですよね。
正しい判断ができぬ前、学び無しに読むべきではないと・・
悩んだ末に
「ネット情報は、鮮度が命!」
こんな思い込みから、必ずネット情報での裏付けを調べるようになっていました。
でも、いつまでも自分は成長(ここでは読者数の増加)しない。
そんな時。
昭和〜平成生まれの「ブロガー」ではなく、明治〜現代に書かれた「作家」の本を読み始めたんです。
これが、ものすごく面白い!
史跡の脇にある看板よりずっと詳しく書かれ、また真実でなくとも想像力を掻き立てる作品がいっぱい。
「私、お金儲けでも何でもなく、想像を掻き立てる作品 が書きたかったんだ」
収入や名声を先行させるのでは無く、先ず 誰かの役に立つもの を作り上げる。
その結果は、時代を超えてなお 残るのです。
思いやりと平和
そもそも、思いやりとは 想像力無しに叶わない と思います。
文章を読まない人が増え、思いやりでは無く、思い込みで物を考える。
気持ち悪いですよ。
「自分は、こんなに高学歴!でも収入が伴わない」
頭が良いと思っているから、能力が足りないことに気付けないんですよね。
私は低学歴ですが、そんなに貧しくなった事はありません。
さらに、「金を稼ぐことは正義」それはいけない。
心を豊かにすれば、自己管理は必ず出来ます。さらに、幸せになれます。
誰かの考えを表面上で理解し、ただ伝えるだけ。
その結果、ネズミ講のように「思い込み人間」が増えてゆく。
論理的とか、論文を読んだ結果とかばかりで、経験をした上で話す言葉を、身近な人の話をなぜ信じられないのか。
有名になるだけなら悪い事。でもそんな話題で取り上げて嬉しいですか?
金を稼ぐだけなら金を理解すれば良い。物書きより、良い稼ぎ方はたくさんあります。
私は文章に、このような夢を持ちました。
未来を変えたい!と嘆くだけで終わらず、変えるために自ら行動する。
幕末から続く、教えです。自分の意見と考えを持つ、トレーニングを!
読み手と書き手
読み手と一緒に、書き手である私も成長していきたい。
むしろ、皆さまの胸をお借りする気持ちです。
書き手だからと言って、完璧ではありません。
読み手の皆さんに、一緒に考えて欲しいから、そのキッカケを書くのです。
誰かの考えと言う軸があれば、人は自分の意見を発信しやすくなりますからね。
想像力です。
自己研鑽
能力を磨かねば、読んでいただくことなど出来ません。
夢は「読んでもらうこと」であっても、私自身が「有名になる」とか「金持ちになる」とか、そんな理由で読まれるのではなく。
「面白い」「感動した」「行きたい・知りたいと思った」、
そして「人生が変わった」そんな作品が書きたいのです。
これだから、若者は
そうは言っても、私の子ども世代から読んでもらうのは大変です。
そもそも関心などないので、「面白い(=怪談・食レポ)」から入り、
「この人の作品を読みたい(歴史)」に進め、
「自分でも知りたい!」と奮い立ち、
「人生を決めた」となれば・・
私はですね「これだから若者は」と言うのは老人の言い訳だと思っています。
若者を否定しながら、自分が老人と呼ばれるとお怒りになる方々です。
若者に目の高さを合わせて、伝えようとしないのですか?
長く生きて、その位の知恵も養われないなら 老害です。
しかし、いつまでも老いない方も たくさんいらっしゃいます。
若者に教えを乞い、時代の波に乗ること。若者の好きに歩み寄ること。
踏ん反り返り、胡座をかいて、否定ばかり。
そんな老い方など、したくありません。
歳をとるも、新たな発想で 歳を取って(除いて)しまいたいです。
おねがい
そんな自分の夢に対して、「応援してくださいよ~」なんておこがましいので、
「どうか、私を育ててください」と、皆さまにお願いしたいです。
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