実録:「私記南京虐殺」曽根一夫 Ⅰ.南京虐殺 ネタバレ

戦争


歴史を公明正大に伝える勇気

内容は、昭和初期の戦争で最前線から生き残った兵士が老い、自分の見た戦争と、戦争を知らない世代の語る戦争に、違和感を覚えます。昭和初期という辛く悲しい戦争の時代に生きた筆者の行動と心情、後悔と懺悔、国家と個人について、情勢と注釈を織り交ぜ現代の私達にも分かりやすく書かれた本です。

Ⅰ.南京虐殺、Ⅱ.戦争と民衆、2部構成となっています。

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はじめに(抜粋)

私が述べることは、戦史にのせられない恥部である。日本人にとって不名誉なことばかりである。述べるに恥ずかしいことである。けれども私は、事実を隠蔽して戦争を美化するよりも、戦争の醜い面を明らかにして反省すべきであると思い、私が知っている限りの事を述べることにした。(略)
私は勇気をふるいおこして、戦争での出来事を述べることにした。
戦争をするときの人間の姿がわずかなりとも見出せたら幸いである。

昭和の戦争

【開始年月日】 ※15年戦争=満州事変から太平洋戦争まで

1931年9月18日 満州事変
1932年1月28日 上海事変=日本人僧侶襲撃事件
1937年7月7日  日中戦争=盧溝橋事件

1941年12月8日 太平洋戦争=大東亜戦争(日本政府公表の呼び名)
1945年8月15日 終戦

《名称変更》
北支事変 (北部で開始)

⇒支那事変 (全域)

⇒日支事変 (GHQの記述)

⇒日華事変 (蔑称に対する抗議から)

明治・大正の戦争は呼称が単一で判り易いが、昭和の事変、戦争は呼称が多くて、実に複雑である。(一文抜粋)

初めての戦場、上海

全体的にはどんな戦いだったか
1937年 中国軍は蒋介石総統自らが指揮を執る、精鋭な軍隊

個人的にはどんな戦いだったか

筆者の上海戦歴(75日間の時系列)
①呉淞(ごしょう・うーすん)鉄道残橋
②呉淞砲台及宝山城付近
③揚行鎮付近
④碩家宅、劉家行付近
⑤蘊藻浜クリーク(小川)付近
⑥大場鎮付近
⑦蘇州河付近
⑧上海南市封鎖作戦
⑨南翔、嘉定太倉付近

戦場の体験

連日の降雨、食事・用便・仮眠の全てが水中⑥~⑦
軟便が漂う水中の悪衛生から赤痢・コレラが蔓延。
戦場で罹患し、生死の境に。分隊員の親身な看護と己の運の強さが妙薬となり、快復へ。

初めて人を殺した経験
偶然出会った敵兵を突き刺し、血を生温かく皮膚に感じる。臆病者から一人前に。

同僚を気にして敵兵を斬首
敵兵を中腰に近い正座をさせ、小川沿いに並べ、軍刀で首を斬った。切り離した首が斜面を転がり水の中へ、首元から鮮血が迸り噴水のように弧を描き、血勢が衰えると胴体はひとりでに浮き上がり、水中へ跳び込んでいった。

死を強いられた肉弾攻撃
難関は蘇州河の渡河、日本軍の戦法は人柱の猛攻。故国へ手紙を書き、作戦に嫌気がさし、命を惜しむ。奇跡的に跳弾を免れ、生き延びた。

南京虐殺事件は事実である

『糧秣ハ現地ニテ徴発、自活スベシ』
軍からの徴発命令、現地の住民から食う物を奪って食え。これにより集落を襲い強奪することが当たり前に、更には強姦さえ。広範囲に及ぶと、すぐ先の上海から情報が広がり国際問題に。軍部は作戦を変更し、徴発禁止に。結果、小部隊では、徴発後に住民を殺消し証拠隠滅せよ、となった。

人の心を失っていく
民衆に刃を向けず戦うも、強奪すべし、襲うべし、始末すべしの環境下で、兵士の心は獣同然となる。仕方がないと言い聞かせながら、一方で恐ろしさがこみ上げる。

三光作戦とは
殺:軍民の差別なく殺してしまえ
略:略奪し奪い尽くせ
焼:民家や村落は焼き尽くせ
足掛け四年も戦場に居た筆者らは、敗残兵狩りと称し、ことごとく中国人が住む町を焼き払った。

高級軍人の言い逃れ
軍法会議等に立った高級軍人は、下士官兵の命令違反と質の悪さを主張した。筆者は作中で、根拠を提示し反論している。

南京攻略の目的

戦後に知った南京攻略の目的
蒋介石政権の本拠を占領することによって、中国側の抗戦意思を削ぎ、事態を収拾するためだった。しかし、中国国民政府は南京陥落後、武漢に移って徹底抗戦の構えを強くし、日中間の争いは激化した。

理由を知らされない兵士たちの行方
最前線では、誰もが平等に生と死の境にあり、やりきれない怒りを弱い者へぶつけていくしかなかった。徐州でも武漢でも襄東でも、誰もが人が人でなくなる様を目の当たりにし、戦場の垢(平気で人を殺せるようになる)をつければつけるほど、戦場の兵隊は強くなっていった。

地獄谷/徐州作戦

私がいつも欠かさずに話すのに、大量の捕虜を殺戮した地獄谷のことがある。
それは、徐州周辺に分散配置してあった中国軍小部隊が主力軍団に置き去りになり、投降したのを皆殺しにしたのである。殺し場とした楊福の谷間が死屍で埋まった残状から、地獄谷と名付けたのだった。その死屍を蛆虫が食い尽くして、地獄谷を中心に夥しい蝿が発生した。この谷に近い所にある無人家屋に入ると、土間一面が、黒い絨毯を敷きつめたように黒一色であった。よく見ると、隙間もなく並んで止まっている蝿であった。それを見て、この蝿は人間の肉を餌食にして成長したのを思い、不快な心地がした。(原文ママ)

注:地獄谷についての描写は想像すら出来ず、筆者の言葉をそのまま抜粋しました。

登場人物

柴田上等兵

今村政五郎一等兵(通称「般若政」)
筆者の5歳上、背中に入れ墨を持つ。荒くれ者の筆頭格。
野呂万作一等兵(通称「鬼万」)
筆者の1歳上、二年兵殿(先輩)。強姦目的で集落に押し入るも、その中央広場で裸にして自身の局部を口に咥え晒されていた。
鈴木賢太郎一等兵
危険思想者で左翼運動の活動家だったため、大卒にも関わらず君が代一等兵となった。 軍国主義についてゆけず、国籍を捨て脱走、中国軍に投降した。
高橋広道一等兵(通称「和尚」)
寺の住職だが、酒と女と博奕が好きな道楽者。強姦しようと出向いた集落で殺された。
内藤一等兵
中隊内最年長。妻子6人を日傭人夫で養っていた。次第に荒んでいく。
須藤少尉
幹部候補生上がりの予備将校。
三宅曹長
歴戦の古強者。野呂一等兵らが徴発で帰らず、捜索の指揮を執った。

まとめ

感想

多くの人は自分の悪さ過ちを認められずに事実を隠そうとします。しかし、この本の筆者・曽根一夫氏は、過酷な戦場下での強いられた過ちであるにも関わらず、勇気を持って書き、公表しました。

戦争の真っ只中に、中国で、日本人が、どのような状況で、どんなことをしたか。 そして、彼がどんな事を思い、どのように変わっていったのか。

綴られた事実と懺悔が、数世代後を生きる私の心に突き刺さりました。

悲しみを忘れたい人達の語り継ぐ体験、掘り返して現代に伝える「戦争」とは、何と愚かで恐ろしいものか。

私は知ろうとする気持ちと勇気を持って書き、公表します。

彼だけでなく、私達のすぐ前にあった時代に巻き込まれた人達の苦しみと悲しみと死を忘れないために。

実録:「私記南京虐殺」曽根一夫 Ⅱ.戦争と民衆へ続きます。

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