わたしのこと
⑶ から更に、近江ちゃんぽんの店を書いてゆく。
彦根の名店へ
彦根市を訪れた私は、「近江ちゃんぽん」を好んで食べていた。
安くて早くて美味しくて、野菜タップリな食べ物である。
今回の旅で、私は彦根城からそう遠くない近江ちゃんぽんの名店『本気-マジ‐』を訪れた。
『本気』で出会った大学生
近江ちゃんぽんを1つ注文。
そして、この店で働く若い店員に話しかけてみた。彼は、滋賀大学の学生だという。
本気、だけど強引
らーめん屋の話題からだいぶ外れてしまうが…
なんなら大学の門を撮影し、タイトルを「滋賀大学」にした方が良いのでは?と、我ながら思うけれど、このブログは『旅行と歴史』なのである。
旅先で出会った「大学生との出会い」に引っ掛け、強引ながら、歴史を辿る『滋賀大学』にも触れてみよう。
これから『士魂商才』近江商人の話を書く私だが、その経済事情は火の車。
彦根へ行くにも資金不足、何卒ご容赦いただきたい。
滋賀大学のこと
さて、滋賀大学の前身は、旧制専門学校。
ちょうど100年前(1922年10月)に設立され、略称は『彦根高商』と呼ばれていた。
特筆すべきは、近江商人の流れを汲む大学である、ということ。
近江人と経済
ちょっと歴史を遡って、戦国時代の近江人を並べてみよう。
日野に蒲生氏郷、佐和山に石田三成が居た。
蒲生氏郷
秀吉に転封させられ、伊勢松坂へと移った氏郷。
この時、日野商人をほとんど連れてゆく。それが後の 伊勢商人 となった。
有名なところでは、三井グループの祖・三井越後守 高安 が、伊勢松坂へと移っている。
石田三成
そして、秀吉におもてなしの心を提供し、見出されたのは、石田三成。
三成 は、深く財務に通じていた。
私は彦根と同様、鹿児島にも関心を持っており、戦国時代の鹿児島に絞った本を読んでみた。
鹿児島と言えば、島津家。
時代は、安土桃山。
秀吉に敗れた後(島津成敗)、三成 が戦後の処理官として薩摩へと赴いた。
島津義久は、この三成から、豊臣の画期的な流通経済を学んだのである。
さらに、豊臣五奉行・長塚正家 も、近江の人間である。財務に長けており、秀吉に抜擢されている。
近江の支配地・芦屋
戦国から江戸明治を駆け抜け、大正へ。
大阪での商いに成功し、莫大な富を得た近江商人。
関西随一のセレブ地として知られる芦屋も、近江商人が居住地として拓いたもの。
関西セレブの祖は、近江の人間なのであーる!なんだか近江・彦根を褒め過ぎだが、、
芦屋でも特に高級住宅街とされる『六麓荘町』(ろくろくそうちょう)
この雲の上のような土地に、六麓荘町イチの豪邸を所有している有名な一族の率いる企業は『武田薬品』である。
… そう! これも近江商人が元なのだ。
武田薬品の創立記念日は、近江・日野商人『近江屋喜助』からのれん分けされた日に定められている。
滋賀大学の学生と、、
私は、この滋賀大学の学生に、この話をして…
いない。こんな長ったらしい話をする客ならば、店から嫌われてしまう。
私の知った滋賀大学という妄想に耽りながら、お独り様の旅人は近江ちゃんぽんを啜っていた。
ラーメンの感想をまた書けなんだが、次回こそ本気出して、『本気-マジ-』の記事を書き上げよう。
⑸ へ、つづく。
あとがき
時代は少しずれますが、戦国時代の近江人をもう1人。
北近江の、浅井長政。朝倉氏との友誼を守り通した人物です。
そのため、義兄の織田信長に滅ぼされてしまいますが… 商売に大切な信頼を貫いたのも、やはり近江人らしさかもしれませんね。
読者からの情報
今から100年前に創立された彦根高商が滋賀大学経済学部の元。優秀な財界人だしてますね。アサヒビールの会長だった樋口さんなど。
滋賀大学経済学部は戦前の彦根高商ですね。神戸高商、小樽高商に並ぶ名門校です。それぞれ神戸商大、小樽商大になりました。東京高商つまり一橋大学は別格ですね。
彦根の滋賀大学は経済学部、大津の滋賀大学は教育学部です。ちなみに私は、昔大津の野球部にノックしに出向いてました。
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