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【東京都中央区】桜田事変をゆく① / 桜田門外の変、井伊直弼、井伊掃部頭邸跡、憲政記念館、彦根藩江戸上屋敷

わたしのこと

みやび ひまり (雅 陽葵) と申します。

旅行好き、歴史すき、江戸幕末が特に大スキ!

桜田門外の変に所縁ある人ですっ ٩( ”ω” )و

事件は現場で

初めて、桜田事変 の現場を訪れた日のこと。

日比谷を出発し、永田町から麹町までの長い距離を歩いた。

はて?目的地にたどり着けぬのは何故だろう?

桜田門前の地図には『井伊掃部頭邸跡』とあるのに、目印が無い。

ふたたび歩いてみるも、行けども行けども井伊家の史跡に行き当たらない。

目的の彦根藩邸は何処にあろう?

井伊家の上屋敷跡

彦根藩の江戸上屋敷、現在のその場所は『憲政記念館』になっている。

この史跡の無さ。桜田事変後の風当たりの強さを物語っているようだ。うーむ。

桜田門外の変、その後

桜田事変後、大老亡き彦根藩。

どのような歴史を辿ったのか、ザックリと探ってみよう。

1860年 桜田門外の変

大老であり彦根藩主の『井伊直弼』が、水戸浪士&薩摩藩士によって暗殺された事件を指す。

桜田事変の顛末

目撃者多数のこの事件、前代未聞の大老暗殺

衝撃的な出来事ゆえ、口コミの広がりはコロナの如く。

しかし幕府はこの死を認めず、大老は病気と偽った。

長く続く武家の『祖法』を守り、かつ 彦根藩を潰さぬために必要なことがある。

大老が生きている内に、跡継ぎの届け出を出すこと

それを実行せんと、幕府。 大老は生きているとした。

「首を切られた者が生きている」など、江戸の民は大笑い。

彦根藩を潰さぬよう『まるく』治めたはずの幕府。

こうして、幕府の権威は失墜。大政奉還へと突き進んでゆく。

彦根藩、その後

井伊直憲公、この時13歳。

側室腹のため、彦根藩では世子の届出をしていない。

大老没のこの当時、正妻・昌子はまだ25歳。

お輿入れから、僅か6年。

アレよ荒れ世と余(大老)が動き、子作りも儘ならぬまま夫は帰らぬ人に。

井伊直弼、何を思う

この世直し大老は、祖法にこだわる故の断罪を行った。

結果、大老の死後は残された者が『偽りの祖法』で井伊家を守ることに。

何たる、歴史の皮肉!

井伊家を守り抜く

元の35万石といえば、身分違えど水戸家と同様。

とてつもない大大名である。

これだけの収益をあげていた筆頭譜代の家。

だが、桜田事変で失ったものは藩主の死だけに止まらない。

250年守り通した石高も、容赦なく減らされてしまった。

さて、幕府が認めた井伊大老の子息。

大老の忘れ形見、若き直憲公を支えたのは国家老・岡本半介。

時勢を見つつ、何とか維新を乗り切り、井伊家の存続に成功。

しかし、天皇を中心にした世 に移り変わっている。

死人に口なしとは、よく言ったもの。

大老・井伊直弼は、勅許のない条約を結んだ不忠の臣下としてレッテルを貼られてしまうことに。

1868年 明治時代へ突入

薩長政府は、ここに参謀本部や陸軍省を敷いた。

安政の大獄

大老の権力は、御三家をも凌駕する。

窮鼠 猫を噛む。余談だが、井伊家と猫の縁は深い。

彦根のゆるキャラ・ひこにゃんも猫、菩提寺も招き猫発祥と言われている。

鼻の長い化け物となった水戸藩士ら(天狗)は、赤猫を撃つ。

御三家の中でも水戸家は特殊で、天皇を拝する勤皇の家である。

この水戸がなぜ、明治政府の柱とならなかったのか。

私は、憲政記念館を歩きながら、大老の死と彦根藩・奮闘記を頭に思い描いていた。

口惜しさを残しつつ、②へ続く。

次「あとがき」「読者コメント」☞

あとがき

彦根城博物館のHPを見ると、「水戸の徳川斉昭が嘘をついたから」とあります。

https://hikone-castle-museum.jp/history/pdf/naosuke.pdf

「格式高い彦根藩が、子どもにこんなこと教えてるのか」と微妙な心境です。

みやび拝

読者からの情報

名城と彦根の人

私は、彦根生まれで、彦根城を見ながら育ちました。現在は横浜住まいながら、彦根城が大好きで「彦根城を語る会」をFBのグループとしてたち上げています。彦根城を中心にしていますので、あなたとは視点が異なると思いますが、御興味があれば覗いてみてください。

戦争で失われる歴史

大阪もそうですが東京は戦時中の空襲、戦後の高層ビル建築、さらには町名の変更などでお江戸の風情が全くなくなりました。京都などで江戸時代の風景や町家が残っているのと対照的。上野界隈くらいですかね、少し残っているのは。また水戸家は幕末の内ゲバで多くの人材が失われて姿消しました。(水戸天狗党の乱参照)

水戸の衰退

水戸藩は最初は勤皇のトップだったけど引き続く藩内抗争の内ゲバで人材が枯渇して維新の際には活躍出来なかったそうです。

櫻田十八烈士、その後

お疲れ様です。水戸藩がわの生き残りの方がいらっしゃいます。初めてこの事実をしったときは驚きました。

東京旅行

おはようございます。年齢を重ね一人の時間が増え 一人旅でもと、しかし旅館などは、手を出せずビジネスホテルどまりで悲しんでいましたが、みやびさんの 投稿を拝見して めから鱗でした

関西の視点で

大変興味深い記事をありがとうございます♪当方関西在住なので、彦根城など馴染みの深いところです。歴史的大事件の痕跡を求めての旅は奥が深く、勉強になります。単なる観光旅行より収穫するものが多いと思います。

彦根、文化と銘菓

先ず彦根というと、銘菓「埋れ木」がパッと浮かびました。井伊直弼公が青年時代を過ごした「埋れ木の舎」から名前が付けられたお菓子ですが、井伊家というとそんな所に根本がある様な気がしてなりません。

井伊家の菩提寺、豪徳寺

この春豪徳寺に行ってきました。素朴で、偉ぶった雰囲気のまったくないお寺でした。

歴史の誤解

いつの世も権力者は思い込みは早く飲み込みの遅い者かも安政の大獄の井伊直弼も🇷🇺のプーさんも(笑)

お勧めの番組

テレビ番組の紹介ですが毎週月曜日、22時から22時54分、BS-TBSの「にっぽん!歴史鑑定」次回の放送は「明治維新の先駆者 吉田松陰の素顔」旅のヒントになるかもしれません。

近江牛と水戸

当時スパイが活動しているのですが、水戸の密偵は彦根の事を赤牛🐂と呼び、彦根藩の密偵は水戸の事を国賊と呼んでいたそうですね。漫才的俗説では、彦根藩主井伊家から水戸藩主に代々贈呈していた牛肉の味噌漬を、直弼の代になってから贈らなかった、精力絶倫、肉食系斉昭の、この恨みが水戸と直弼の確執になったという説もあり。😄😄斉昭の側室9人子供37人これは史実なり。

嬉しい言葉

さすが、一級品の歴女、中味が濃いね!

(Facebook・Twitterにて、受付中!)

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