私は、並々ならぬ思いで『沖縄戦』を追っている。
わたしのこと
沖縄の激戦地
「今日は、嘉数高台とシュガーローフヒルへ行こうと思います」
沖縄で出会った人に、LINEを送ってみた。
『ボク、沖縄に住んどったけど、シュガーローフ を知らんかった』
シュガーローフ。 アメリカ軍の呼び名で、砂糖菓子を意味する。
日本軍はこの丘の標高から、52高地と呼んだ。またの名を 擂鉢(すりばち)丘と言う。
ここは、沖縄で大変な激戦地となった。
戦争史跡の場所
沖縄、那覇空港から市内を真ん中に走るモノレールを、ゆいレールと言う。
おもろまち駅を中央に、首里城側は「真嘉比(まかび)」反対側を「新都心」
私が訪れたのは、新都心エリア。
『おもろまち にあるんやろ?高級店の立ち並ぶきらびやかな場所の印象しかなかったな』
たしかに、この おもろまち駅周辺はハイソサエティ(上流社会)の地区に見える。
舗装された広い道路、大型ショッピングモール、DUTY FREE(免税店) のでかい看板、ハイブランドショップがあり、戦争の跡などは微塵も感じられない。
ハローワークがあり、配水タンクがあり、ちょっと高台に、そっと碑がある。
史跡は、ゆいレール おもろまち駅から徒歩5分ほどのところ。
相変わらず方向感覚の鈍い私は、グルっとショッピングモールを一周して、目的地に着いた。
沖縄戦を追う出会い
現地に着き、私は「ここが、具志堅隆松さんの本に書かれた場所か」と思った。
具志堅氏とは、戦争で亡くなられた人の遺骨を掘り、せめて骨だけでも人間らしく返す活動をしている方。(超訳)
著書に『ぼくが遺骨を掘る人「ガマフヤー」になったわけ。』がある。
詳細は、あとがきに記すが「ガマフヤーに怒られた経験」が、私を変えたのだ。
私は彼に出会ったことで、沖縄戦を見るようになる。
ガマフヤーとは
まず、ガマとは、沖縄の鍾乳洞 を指す。フヤーとは、掘る人。
沖縄が戦場となり、多くの民間人がガマに逃げ込んだ。
ガマは、日本軍兵士に占領され、アメリカ軍兵士に火炎放射器で焼きはらわれた。
つまり、ガマには信じられないほどの遺骨が埋まっている。
その意味を込めて、ガマフヤーとなった。
戦没者の遺骨を掘り、人間らしく返すのである。
ガマフヤーの後悔
彼はガマフヤーとなり、シュガーローフヒルの遺骨を救えなかった負い目をずっと抱えている。
1991年、シュガーローフの開発事業が進んでゆく。
ここは激戦地、多くの遺骨が未発掘のまま残されている。
開発工事を止めねば、遺骨が帰る機会はもう無くなってしまう。
そして彼は市役所に電話をかけた。具志堅氏は、独りだった。
役人の対応は、彼を絶望させ、苦しい後悔を生む。
この時、ガマフヤーになって約10年、沖縄返還から約20年が経過していた。
おもろまちに眠る魂
この丘の多くの亡骸は、まるで堆肥のごとくブルドーザーで掻き出され、、帰る機会を失くしてしまった。
この、おもろまち。誰かがこのように表していた。
「多くの御遺骨の上にコンクリートを固めた、吐き気のする町」
私はこの地を訪れ、その言葉を理解できる気がした。
日本軍・アメリカ軍
沖縄戦の本を読むと、こんな言葉を目にする。
「君たち(日本兵)は武器がなかったんだもんね。同じ戦力なら僕たちの負けだった」
アメリカ兵は日本兵に対し、このように労った。
沖縄中部で、日本軍とアメリカ軍が戦い、たくさんの命が散った。
戦争史跡を訪れて
わたくしは シュガーローフを訪れ、思い浮かべてみた。
兵士は武器を持つことが出来る。でも、持つことを選んだのか、持たされたのか。
シュガーローフ、華美な街の史跡からは、何もわからない。
予想外の激闘
具志堅さんの本には、遺骨収集の結果も書かれている。
沖縄中部の発掘で、多くの弾薬の破片が見つかった。
どんな弾薬だったか、どれほどの量が発掘されたか。
ここから、アメリカ軍は所有していた兵器のほとんどを使い切ってしまったことがわかる。
シュガーローフヒル攻防戦
この頂上をめぐり、1日4回も日米両軍が入れ替わってしまうほどの死闘があった。
アメリカ軍の部隊(第六海兵師団)
死傷者:2,662名
精神病者:1,289名
アメリカ側の死者数も多大だが、精神疾者の数はゆうに1000人を超える。
一体、どれほどの恐怖を味わったのか。
ここでの戦闘は、1945年5月12日から、18日にかけて続いた。
何もかも優位にあるアメリカ兵を震撼させた日本兵。
想像してみるのだが、戦争を知らない、沖縄戦を知らないわたくしにはイメージできない。
日本人は、一体どれほどの思いを抱いて戦ったのか。
【参考】アメリカからみた【沖縄 シュガーローフの戦い(Sugarloaf)】第二次世界大戦
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あとがき
私の「具志堅隆松氏に怒られた経験」とは、2021年、終戦記念日に靖国神社でハンストを行っていた彼に話しかけた時のこと。
沖縄の政治も、今を楽にしたいか、昔を忘れないか、二極化しているように感じられる。
沖縄住民の経済活性と近代化、沖縄民族の文化と平和。投票結果に注目してしまう。
私は、もっともっと沖縄を見て聞いて、沖縄を読み、沖縄を知りたい。
しかし、沖縄戦の本を読んでいると、日本軍や日本兵を非難するものも多い。
私はそのように戦争を経験した人々を被害者と加害者に分けるつもりはない。
たとえば史跡で感じたこと。戦艦大和に敬意を表してくれる沖縄人の心。
責任追及より、そもそも戦争を無くす、そういったことを考え、発信したい。
みやび拝
読者からの情報
このタイトルで映画があるのをご存じですか?(シュガーローフ戦闘)
「おもろまちは ”多くの御遺骨の上にコンクリートを固めた、吐き気のする町” 」との具志堅さんの言葉同様に、今の沖縄で、遺骨収集作業をしている最中の土砂が、あろうことか米軍の辺野古基地の埋め立てに使われようとしているのは、重ね重ね沖縄を踏みにじるものであり哀しいですね。
国内でなくスレ違いですが、私はアジア各国へ先の戦争の戦跡巡りの旅をしています。ほとんどの日本人がアジアへの慰霊の旅で訪れるのは、現地で亡くなった日本兵の墓苑や特攻跡地などですが、私が訪ねるのは日本軍による加害の戦跡です。 日本軍は、南京のみならずアジア各地で住民虐殺をしました。現地の慰霊碑では、毎年虐殺の日に合わせて慰霊祭が催されています。しかし、そこに頭を下げに来る日本人はほとんどいません。身内が罪なき人を殺したなら、まずは犠牲者の御霊に詫びてから身内の墓参、が人としての良識だと思うのですが。
一人での旅って、なかなか勇気がありますね。この頃、一人で沖縄に行こうと計画したら、やはり勇気がなく断念してしまい、本当に尊敬します
勉強させて頂きます。日本は、あまりにも、戦争に対して教育が無さ過ぎる。
私も沖縄の歴史を勉強しています。全般的にですが。こちら参考になれば嬉しいです
沖縄県民として、ありがたいなぁと思います。観光で来る方はリゾートを楽しむ方が多い中、戦跡巡りをするは少ないと思います。シュガーローフに行ったなら、ハーフムーンにも是非訪れてみては?
(Facebook・Twitterにて、受付中!)
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