今回のテーマ「黒船 来航」
初めての沖縄旅行で、幕末を巡りました!
沖縄で、幕末? (´ω`*)ニコッ
わたしのこと
沖縄を見てみよう!
さて、皆さま。沖縄は、地図で見ると・・
☝ こんな形。
日本地図、沖縄の地図だと分かりづらいのですが、ちょっと引いてみましょう。
近郊の国も見えるようにすると・・
あら、不思議!
まるでアジアの関所のように、沖縄があるのです。
日本は、太平洋戦争で大変な敗北を経験していますね。
沖縄が戦場となり、終戦後もアメーリカに支配され… (怒)
しかし、こんな地図で見てしまうと、沖縄を占領したい気持ちが理解できるような。
アメーリカは、江戸幕末から、昭和まで、同じ気持ちで居たんじゃないか?と思えてなりません。
ペリーと沖縄
さて、幕末とは?
ペリーの黒船来航から、西南戦争まで、とされています。
幕末を揺るがした… もとい。
幕府を、末期に、追いやった ペリー と言うアメーリカ人。
というのは、有名すぎる日本史ですね。
この顔が、すぐ思い浮かびます。
今回わたくしが訪ねたのは、ペリー が、例の「浦賀」ってトコに着く前の歴史です。
沖縄へ上陸し、首里城にも足を運んだって、知ってました?
次「ペリー上陸之地」☞
小心者の筆者・みやび は、この記事を書くにあたり、日本史の教科書を読み返しまして。
ペリーさんが、沖縄と小笠原諸島にも上陸したコト、しっかり書いてありました。
どんな場所か? 行ってみましょう!
沖縄 上陸之地
わたくしは、ペリー が浦賀へ来る前。幕末 以前 を、沖縄で 旅しました♬
こちら、那覇市の「泊(とまり)」と言います。
水神様でしょうか、龍の橋 ☟
詳しくは、コチラ☟
港の目の前に、泊 外国人墓地 があります。
この墓地の、西洋風アーチをくぐると・・
ペリー提督 上陸之地 の碑が見えてきます。
ペルリ とは、ペリーのこと。江戸時代は、ペルリって呼ばれていたんですよね。ペルリッ
おすすめブログ
泊 (とまり)については、こちらをご参照ください。
黒船ペリーは5度も沖縄上陸したその理由は? / 沖縄REPEAT
黒船ペリーは5度も沖縄上陸したその理由は? | 沖縄リピート黒船ペリーが浦賀にやって来て、日本に開国を迫ったという事実は皆さんよく知っていることでしょう。でも、実はその前「ペリー上陸之地」泊 周辺、その頃の歴史について書かれています。
みやび厳選、おもしろブログ!
【ペリーは首里城にも訪れていた!】琉球上陸に始まった黒船ショック / 歴人マガジン
https://rekijin.com/?p=34682石碑のある墓地、首里城を訪れたペリーのことも書かれています。
次「アメーリカの目的」☞
ここから、ちょっと深堀りして・・
キーワードを、さぐってみましょう。
ペリーが日本に来た理由
「ペリーが浦賀に来た」だけでは、歴史の教科書に載ったりしません。
外国船はその前から、何度も日本へ来ていましたから。
では、なぜ黒船来航が「事件」になったのでしょう?
ペリーは、日本に対し、国を開くよう要求したからなんですね。
武力をチラつかせて、です。
とんでもないですね。
なぜ このようにしてまで、開国を迫ったのか?
その理由を挙げてみましょう。
1、航路の開拓
当時のアメーリカは、太平洋の通商に遅れていました。
イギリス、フランス、オランダに比べ
アメーリカは…
通商を結んでいる国が多くありません。
いや、あの国、なんだっけ!?
日本、NIPPON!!
あの国は、どうだっ
まだ日本があるじゃないか!
2、捕鯨の寄港地
今でこそ、捕鯨、反対!と、叫ばれていますが。
江戸時代は、欧米諸国で盛んに捕鯨が行われていました。
クジラって、無駄が無いんです。☟ この通り。
肉の部分はもちろん、骨も工芸品になったり、日本の食卓ともいえる、捕鯨の歴史。
しかしですね・・欧米では、照明用の油をとるためだけに、鯨を乱獲していました。
これでもかってほど捕ったので、近くではもう鯨が捕れません。
かと言って、遠くまで来れば、薪や水が足らなくなります。
ペリーは、捕鯨船の補給港を、日本に置きたかったのです。
日本捕鯨協会HP
https://www.whaling.jp/history.html
3、海外市場の争奪
「友好通商」と言ってますけどね。
脅しといて、友好もなにもあるかいっ!
ペリー提督率いる黒船艦隊は、2回に分けて、日本を訪れました。
日本政府(幕府)が、考える時間をくれっ とお願いしましてね。
2回目のペリー訪問で、日本とアメーリカは、通商条約 ではなく、和親条約 を結びました。
この記事の一番はじめ、「沖縄を見てみよう!」でも書きましたが、太平洋から上海までの航路に、沖縄がありますよね。
アメーリカは、中国との貿易に目を向け、日本に開国を要求。
対する日本も、貿易じゃないからイイヤ・・と要求に応じます。
いやー日本って、しがらみが スゴイ。
国を担う人ほど、しがらみを気にして、民衆が国を憂う。
なんとも言えませんね。ヽ(`Д´メ)ノ セイジッ!
この頃の、アメーリカ
メキシコとの戦争によって、最西部のカルフォルニアを獲得。
「大西洋」のアメリカは、「太平洋」の国となりつつありました。
次「ペリーについて」☞
ペリーのアメーリカ艦隊。
「日本が国を開かなければ、沖縄を占領してやろう!!」
浦賀の前に、沖縄へ立ち寄ったのは、そんな目論見があったから。
ここで、ちょっとその先の歴史「浦賀での出来事」をまとめてみました。
鎖国を断念
1853年
アメーリカ東インド艦隊司令長官 ペリーが、4隻の軍艦を率いて、浦賀沖に現れます。
「フィルモア大統領の国書をお渡ししたい。」
「薪水の補給、ナンパ民の保護を求めたいのです」
BY ペリー
ギャ────∑(゚Д゚; )────ァァッ!! 慌てる日本・・
そう思っている人が多いと思いますが、日本はそこまで、ダメダメじゃないんです。
皆さまに紹介したい人物、それは 林大学頭(はやしだいがくのかみ)。
またの名を 林復斎(はやしふくさい)。この方、ものすごく素敵なんですっ!!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
長崎行きを拒否したペリー艦隊は、江戸湾深くに侵入。
時折、時報がわりの大砲を撃つなど強硬姿勢を崩さない。
国書を受け取った幕府は、翌年の返答を約束して黒船を去らせた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
臨場感たっぷりに要約してみました。
交渉にあたった林復斎、ペリーを知力で追い返してしまうのです!!
この辺りは、浦賀に行ったら書きたいと思います。
1854年
カルフォルニア割譲で太平洋岸に進出していた、アメリカ。
「貿易じゃなく、港を開くだけです」と、日本。
そして、下田、箱館、2つの港を開くことを約束します。
ペリー以外の外国人
【露】プチャーチン:1853(嘉永6)年、1854(嘉永7)年
だいたい同時期に、日本へ来た人物。
ペリー艦隊の航路
1852年11月
イギリス・ノーフォークを出発
マディラ諸島 ☞ セントヘレナ島 ☞ ケープタウン ☞ モーリシャス島 ☞ セイロン島 ☞ シンガポール ☞ マカオ・香港 ☞ 上海
1853年5月
沖縄へ上陸
小笠原諸島 ☞ 日本・浦賀
ペリーの読んだ「日本」
ペリーというのは、軍人です。代々つづく海軍の家系に生まれ、地位も高かったようです。
日本へ行くこととなり、ただ武力行使で押し通そうとしたわけではありません。
日本人との付き合い方をかなり調べてから来ています。
外国人が書いた「江戸時代の日本」
【独】ケンペル:『日本誌』1690(元禄3)年
【露】ゴローニン:『日本幽囚記』1811(文化8)年
【独】シーボルト:『NIPPON(日本)』1823(文政6)年、1859(安政6)年
【英】マクファーレン:『日本、その地理と歴史(通称:日本1852)』1852(嘉永5)年
しっかり学んできたペリーに対し、林復斎 はペリーの想像をはるかに超えていた、ということでしょうか。
ヾ( 〃∇〃)ツ キャーーーッ♡
それとも、外国人は日本人を誤解してるのでしょうか…
あとがき
2021年9月14日。
平和祈念公園を巡り、国際通りのドン・キホーテで買い物をし、あっと言う間に過ぎて行った沖縄、2泊3日の旅。
沖縄といえば、反戦、平和、いまも続く沖縄問題。作家としていきり立ち、奮い立たなければならないような風潮にあります。もちろん、それを知りたくて訪れたのですが・・
わたくしのブログを読んでくれる読者と、沖縄を楽しめないだろうか?
そんな場所を求めて、訪れたのが この「ペルリ提督上陸之地」でした。
石碑の写真を撮りに行っただけ、それを、もっと掘り下げてみよう!!
東京に戻ってから、この辺りの本を何冊か読み、まとめてみました。
幕末と沖縄
わたくし、沖縄の、江戸から昭和を辿ってみたら、だんだん 腹が立ってきました。
幕末直前、沖縄は、琉球でしたね。そして、琉球という国を支配していたのは、薩摩(鹿児島)です。
アメーリカは、琉球が日本の傘下にあることを知っていました。
黒船来航は、1853年。終戦は、1945年。およそ100年弱のときを経て、アメリカは沖縄を占領。
これを思ったら、ムチャクチャ むかついてきちゃいまして。
(# ゚Д゚) ムカーッ!!!
現在、2022年。太平洋戦争 終結から、77年目です。次世代に繋げて、あと100年。
時間はかかっても、強い日本をつくる足掛かりになれたら・・と思わずに居られません。
ブログを書く
旅先での発見、自分の、面白い!素敵!感動!を書きたくて書いています。
しかし、わたくしは思い悩む性格。この半年は色々なことに遭遇し、言いたいことや伝えたいことが言い出せない自分になってしまいました。
そんな時、いつも以上に皆さまのコメントが、励みになりました。引用抜粋させていただきます。
(コメント主さん問題がありましたらご連絡くださいませ)
歴史が繋がっているように、ブログでも繋がりを辿る
沖縄に至るなら、それこそ、さらに前から始まり、沖縄へ向かう道を読者とたどらないと、みやびの沖縄観は理解しづらいかもしれません。歴史が繋がりであるように、ブログも効果的につながるといいですね。
これからの課題をご教授くださった、ありがたーいコメント。
みやびのイメージを、どこに置くのか?
歴史女子の旅ものならば、観光案内や食も触れるとか。
歴史からの啓発ものならば、シェア層は少ないからそれがメインになると読みづらい。
かわいさで売り出すのも、キャラがどういう人なのか認知しやすい。
おばけ話なのか?幕末の歴史なのか?ロシアなのか?
リピーターができるまでテーマを絞らないのが良いかも。
この「旅行と歴史」、最近どんどん読者が居なくなってしまい・・瞑想&迷走中。
みやびの書きたいものが統一されていないから、読者に刺さらないんですよね。
。゚(゚´Д`゚)゚。
これからも、悩みながら、楽しみながら、執筆活動を続けます。 みやび拝
読者からの情報
(Facebook・Twitter にて、受付中!)
お願い
いつも「旅行と歴史」をお読みいただき、ありがとうございます。
フォローのお願い
ブログ「旅行と歴史」は、新しくなります。現在、ページを作成中です。
URL が変わりますので、情報を随時お知らせいたします。
お手数ですが「みやび ひまり」SNS のフォローをお願い致します。
Twitter:みやび ひまり@旅行と歴史
Facebook:みやび ひまり
救援のお願い
恐れながら、皆様からのご支援・ご協力を賜りたく存じます。
Amazon ほしいものリスト
Amazonほしい物リストを一緒に編集しましょうURL掲載の物資をお贈りいただきましたら、有効に活用させていただきます。
「旅行と歴史」では、ブログ運営・面白さ追求・記事の充実を図るため、皆さまからのご支援をお願いしたく存じます。
この情報配信に対し、皆さまに楽しんでいただけるよう更なる努力をしてゆく所存です。
今後とも、どうぞ よろしくお願い致します。