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【鹿児島県南九州市】知覧 / 特攻隊、知覧特攻平和会館、太平洋戦争、なでしこ隊

特攻」その生涯。

一度しか経験することのない「体当たり攻撃

わたしのこと

みやび ひまり (雅 陽葵) と申します。

作家を夢見る、東京の会社員です。 ٩( ”ω” )و

平和を書き続けたい。

知覧 特攻平和会館

さて、鹿児島は知覧に やってきました!

知覧・特攻平和会館

なぜ、特攻の地なの?

戦時中、ここに 基地 がありまして。

知覧は、沖縄に一番近い飛行基地。

激戦地となった沖縄に、多くの兵士が向かいました。

燈籠

特攻平和会館 に近づくと、たくさんの灯ろう。

灯ろうの1つひとつに、特攻隊の形代があり、名前も刻まれています。

戦争の悲惨さにハッとする、灯ろう。

あっ、下半身ない・・

灯ろうは、隊員の御霊を祀るために建てられました。

知覧の指令で九州各地、台湾の基地から飛び立った隊員・・

その数、1036名

1036基の灯ろうを・・と、建てていきまして。

今では、その数を超えてしまっているそう。

とにかく、いっぱい建ってますw (´ω`*)

亡き人の魂が、迷わず神仏の元にたどり着きますように。

次「特攻観音堂」 ☞

特攻観音堂

まず向かったのは、特攻観音堂。

入ってみましょう!

お堂の中は、こんな感じ。

特攻観音

この観音様、奈良・法隆寺の 夢違観音 (ゆめたがいかんのん)を模したもの。

「悪い夢を、良い夢に変えてくれる」観音なのです。

日本の悪夢、ですから・・「特攻」

統率の外道!!

思いの詰まった観音は、元・特攻隊員、関係者たちの寄付によって、建てられました。

観音の体内(胎内)には、特攻隊員の芳名を記した巻物が入っています。

旅は道連れ、世は情け

お賽銭は、3枚。

知覧行きのバスを待っている時、同じく旅行に来たご婦人2人組からお預かりした50円玉。

30分ほどしか知覧に居られないとのことで

鹿児島中央 ⇒ 知覧・特攻観音前

バス料金 ¥950‐

千円札のお釣りを、預かりました。

ちゃんと、3人分お参りしましたよ~っ!

山口県民の、Nさん、Kさん!!

次「三角兵舎」☞

有名な、三角兵舎

特攻出撃を控え、隊員たちが最後を過ごした兵舎。

敵機に発見されないよう、屋根に樹々を被せていました。

三角兵舎、と言います。

風通しは悪く、じめじめしてまして。

隠れ家っぽい気、しません?☟

特攻隊として発つ前、最後を過ごす・・

こんなに狭く、寂しい部屋で。

命令で、命を終える、その日を待つ・・

刻まれた命

石碑には、1人ひとりの名前が刻まれています。

犠牲となった隊員でしょう・・

敵に、体当たりで攻撃せよ!

そんな、命令を受け・・

必ず死んでしまう、1回こっきりの出撃を強いられたのです。

次「特攻平和会館」 ☞

特攻平和会館

それでは、中へ入ってみましょう。

ここには、有名な 特攻隊員の遺書 が展示されています。

もちろん、館内は撮影NG。

いやでも、わたくし、皆さまに、隊員の心を知っていただきたいと思いますので。

みやび・ピックアップ遺書!

ご紹介いたしましょう♪

~~ ご想像で、お読みくださいませ ~~

留魂録

「留魂録」とは、幕末の志士・吉田松陰が、自分の教え子に残した 遺書のこと。

その後、教え子たちは日本の名だたる偉人になるワケですけれども。

特攻隊員の1人・佐藤新平 少尉は、自らの日記帳に「留魂録」と書きます。

吉田松陰を模したものでした。

辞世(死ぬ間際に詠む)

身はたとへ 敵艦船と砕くとも

七度生きむ あかきこころは

ありがたき御代にうまれて やくだてる

そのよろこびに われはゆくなり

新平

対して、吉田松陰。

辞世の句

身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂

(現代訳:自分は東京で死ぬけど、日本を想うハートは残すゼッ!)

佐藤少尉は、特攻隊員ですから・・

重ね合わせて、死ぬ勇気を奮い立たせたのかな、と。

「七度生きむ」の言葉でも、七生報国/ 七度生き延びて国に報いよ(武運長久)を思い浮かべます。

しかし、この隊員の遺書を読み進めていくうち・・

佐藤少尉は、きっと こちらの 吉田松陰の句 こそ、残したかったのではないか。

親思ふ 心にまさる親心 

今日のおとずれ 何と聞くらん

寅次郎

寅次郎とは、吉田松陰の名前。

兵士だから、日本男子だから、書けない…

でも、展示された佐藤少尉の手紙は、ご両親をいたわる気持ち にみち溢れていて・・

佐藤少尉の 建前と本音 を、深く考えました。

今日のおとずれ = 特攻 出撃

親思う、あなたの心、留めおかまし・・

次「生き延びた少年兵」へ ☞

作家・神坂次郎

さて、紹介したい本を1冊。

知覧に、このような石碑があります。

作家・神坂次郎は、自らも特攻隊の一員。

本の書き出し部分 ☟

知覧

 薩南の涯の山のなかの静かな町。

と号(特攻)要員とよばれた若者や

少年たちが、青春の最後の幾日かを過した町。

祖国の難に一命を捧げた隊員たちの特攻機が、二百五十キロの爆弾を抱えて

よろけるように飛び立っていった町。

そんな隊員や、それを取りまいた人々の、

さまざまな思いが罩められている町、知覧。

[碑文より]

まだあどけない少年が、命の重みを知る頃。

自分だけ、生きのびてしまった。

罪のない人間が、ただ、生きのびた。

悪くない、まったく、悪くないのに・・

友の死を悼み、悔やみ、苦しみ、

ずっと罪悪感を持ち続け、生きていく・・

そして作家になり、彼らの生きた証を残していく。

ためしよみ ☟

試し読み | 神坂次郎 『今日われ生きてあり―知覧特別攻撃隊員たちの軌跡―』 | 新潮社
僕の命の残りをあげるから、おばさんはその分、長生きしてください――知覧特攻基地の隊員たちはこの上なく美しく、限りなく哀しい言葉を遺して空に散っていった。その散華は国家や天皇のためではなく、可愛い妹、敬愛する父母、愛しい恋
次「みやびの心残り」☞

背中の静ちゃん

わたくしが、神坂次郎「われ生きてあり」にある話で、特に感銘を受けたもの。

☟ 兄から妹へ送った手紙

おわかれの時がきました。

兄ちゃんはいよいよ出げきします。

思ひがけない父、母の死で、幼い静ちゃんを一人のこしていくのは、

とてもかなしいのですが、ゆるしてください。

時計と軍刀も送ります。売ってお金にかへなさい

兄ちゃんのかたみなどより、これからの 静ちゃんの人生のはうが大じ なのです。

では兄ちゃんは征きます。

泣くなよ静ちゃん。がんばれ!

この隊員は、空襲で父を、病気で母を、相次いで亡くしました。

幼い妹を残して征く、兄である自分は、お国のために働く。

売って お金にかへなさい

わたくしは、この言葉に、リアリティを感じました。

両親が亡くなり、若い兄が、一家の生活を背負う。

幼い妹をのため・・

この戦時下、どこで働けるって言うのですか?

空襲で、家も焼け、どこも焼け野原・・

明日をも知れない、不安。

兄は、軍人恩給 を残そうとしたのか、と。

軍人恩給

旧軍人等が公務のために死亡した場合など、

国家に身体・生命を捧げて尽くすべき関係にあった、

これらの者及びその遺族の生活の支えとして給付される国家補償

しかしですね、知覧・特攻平和会館で、この隊員の名前を見た記憶はありません。

わたくしは、見落としてしまったかもしれません。

いつかまた、必ず知覧へ行きます。あなたの心を、読んでみたい。

次「知覧」☞

知覧、どんなところ?

わたくし、バスで 知覧 へ向かいました。

鹿児島中央 ⇒ 知覧・特攻平和会館

バス:約 1時間半

百聞は一見に如かず、との言葉どおり。

どんどんどんどん、バスで、山を登って行き・・

山なんだか、崖なんだか、わからないような場所に着きました。

特攻隊の基地を、隠すためなのかなぁ・・

とても、自然が美しいのです。

命を落とすってことを、、

忘れてしまいそうな、山の優しさ。

あとがき

今回のテーマ・知覧「特攻平和会館

わたくしは、沖縄へ行き、知覧へ行き・・

今まで知った気になっていた「特攻」に対する想いが変わりました。

戦争、人生、青春、命の声・・

皆さんはぜひ、開聞岳も見てくださいね!

知覧へ行こう!!

わたくしが、そう決めたのは、この記事☟がキッカケ。

【東京都千代田区】靖國神社 / 終戦の日2021、神社仏閣、ガマフヤー、沖縄戦
はじめに この「旅行と歴史」では、私の価値観で、一個人が 靖國神社に参拝した話 を書いています。 靖國神社 を語るには未だ勉強不足、それでも今を大切に。 皆さんと共に、学んでいけたら幸いです。 2021年、終戦の日 この日...

行きつけ(?)の神社を書き起こし、沖縄戦のことに触れました。

読者から「靖国についても沖縄についても、表層的な解釈はあやうい」とコメントをいただき、

・・たしかに。

沖縄へ行ったこともなければ・・

沖縄問題も、沖縄戦も、知識ゼロ。

みやび、頭の中

コレで一体、何が書けるのだろう・・と思い悩んだのです。

わたくしなどより、ずっとずっと、色んなことを知っている読者の方々。

ご指摘を「沖縄のことは、半端な知識で書いてはいけない」と、受け止めました。

こうして、沖縄へ行き、沖縄の本を読み、

わたくしが考えていたより、ずっと・・

沖縄戦を知りたいなら、知覧も行こう

わたくしの、学びの旅 は続きます。

背中の静ちゃん

鹿児島旅行に来た頃、わたくしはまだ「われ生きてあり」を読んでいる途中でして。

知覧から宿泊地の鹿児島中央へ戻り、ホテルの中で「背中の静ちゃん」を読みました。

明日、帰らなければならないのに。

「背中の静ちゃん」にある、大石清 隊員の手紙が読めなかったことを、悔やみました。

東京に戻って、特攻隊に関する、ありとあらゆる本を探し・・

手紙を書いた特攻隊員・大石清 の名前を探しましたが、未だ見つかりません。

作家になる

戦争末期、日本の特攻隊。

有名すぎるのに、調べてみると・・

「知っていること」と「知ったこと」は、異なっていました。

意気込んで、本を何冊も読み、書きたいことはたくさんある。

あるのに・・

ブログという媒介では、思いを書くには不十分で。

わたくしはいつか、小説にして、世に出したいと考えています。

自分の知った 特攻隊 と、皆さんに知って欲しいこと。

誰しもが、平和で、安心できる世の中に。

あなたの勇気と知識、そして平和への意識を高められたら、幸いです。

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