はじめに
この「旅行と歴史」では、私の価値観で、一個人が 靖國神社に参拝した話 を書いています。
靖國神社 を語るには未だ勉強不足、それでも今を大切に。
皆さんと共に、学んでいけたら幸いです。
2021年、終戦の日
この日、東京は大雨。
今年の靖國神社は、過去1番 参拝者数が少ない年 となりました。
今年は、第二鳥居(靖國神社の門前)で ようやく横並び6人の列。
お昼頃に着くよう、私は自宅から歩く。約1時間ほど。
悪天候でも、神社には 杖つく御年寄の姿もチラホラ見かけ、思いの深さを目に焼き付けました。
(心の声)
お年寄は、怪我や病気になるとより命の危険に晒される。
激しい雨で足場は悪くなり、コロナ感染の広がりも怖い。
私と違い、この方々が歩いて来た可能性は低いだろう。
それでも、この日に足を運ぶ。
命は、自分1人のものではない。
そう説くかのようだ。ー涙ー
想像を膨らませ、胸が熱くなる私。
靖國神社、プレイバック!
私の恒例、過去の 靖國神社 を紹介。(携帯データから抜粋)
2020年8月15日 終戦の日
去年のこの時期、非常事態宣言も解除されており、賑わいを見せていました。
撮影してくれたのは神主さん、右に写ってますw
2021年1月1日 初詣
人が居ないのは、閉門間近のため
ウッシッシ
2020年1月1日 初詣
まだ「コロナは海外の出来事」
この初詣以上に、終戦の日は行列がつづく。
2019年1月2日 初詣
夜でも人が行き交います
平成最後の初詣
※御朱印、他にも多数。抜粋
2019年7月 みたままつり
出店が禁止となり、落ち着いた雰囲気
夏らしい装い、参拝者たち
2019年1月1日 初詣
午後、夕暮れ
2018年7月 みたままつり
所狭しと掲げられた、提灯
提灯の中に、戦争で指揮を取り多くの部下に詫びて自死した 大臣の姓 が掲げられていました。多分、ご遺族でしょう。
次のページ ☟ 「日本軍の兵器、平和の象徴」
今年から、靖國神社は 撮影不可。しかし境内にある 遊就館 は撮影可能 (一部)。ホッ
現代を生きる 日本国民の良く知る靖國、お見せしちゃいます ☟
遊就館1階 入口
戦闘機が お出迎え。
デデンッ!と乗物が在り、奥にレストラン
映っていないのですが、右奥に売店あり。靖國神社 関連のグッズが買えます。
戦場から持ち帰ったもの
遊就館 大広間、ここも撮影OK!
激戦を告げるヘルメット
鉄製のものが、無残な形に。
この中に、人の頭があったのです
持ち帰ってきた戦車
サイパン島で、日本兵と共にいた 九七式中戦車。
現地の有力者と戦友の奉仕によって、戦車は日本へと帰って来ました。
「戦没者への慰霊と顕彰の象徴にしよう」
永遠の平和を誓い、靖國神社へ奉納されました。
特別攻撃隊・桜花
十死零生 (じゅっしれいしょう)の特別攻撃隊、略して「特攻隊」
この飛行機を「桜花(おうか)」と言います。
桜花 を見ていただくと、攻撃どころか、飛行する能力もほぼありません。
機体に爆弾を括り付け 敵に向かって落とすためだけに作られたからです。
他の飛行機で 目標地点まで行き、敵に向かって 命ごと体当たり。
特攻隊が向かう戦場は、沖縄でした。(全てではない)
(知識不足な点は、ご容赦ください。知る限りを書いています。)
次のページ ☟「戦争と沖縄」
2021年、話題「ハンスト」
ハンスト中の具志堅さん
沖縄から来て、前日(14日)から ここで ハンガーストライキ を決行。
ハンガーストライキ とは
抗議や要求の闘争手段として、断食・減食する行為。
理由はコチラ ☟
なぜ、特攻が生まれたのか?
「ご遺族は全国にいらっしゃいます」と、ガマフヤー具志堅さん。
(インドの指導者マハトマ・ガンジー、沖縄「ガマ」=洞窟「フヤー」=掘る人を掛けたと思われ)
特攻など、沖縄戦で散った命は 沖縄の人に限った話ではありません。
ボランティアの方が数名、ガマフヤー具志堅さんと共に活動をしていました。
私のような者が 沖縄を語って良いのか?と 深く悩みますが、書いてみます。
本土決戦の防波堤とされた、沖縄
戦争での犠牲者は、県民だけで10万を越えました。学生すらも戦地に駆り出されたのです。
沖縄は、江戸時代まで 琉球王国 と呼ばれ、表向きは海外。
実際は、薩摩藩(現・鹿児島)の支配下に。
明治時代になってようやく、沖縄も日本となりました。
出身の藩で大きく差別された、明治時代
「認められたい」「認めさせたい」思い。
沖縄県民は「日本人として」勇敢に戦いました。
それは、全国各地から集まった兵士も同じこと。
戦争末期、追い詰められた日本軍。
敵軍の本州上陸を目前に 沖縄で死闘を繰り広げました。
終戦間際の日本は、武器も乗物も食糧も兵力も、大変乏しいものでした。
しかし、日本人の必死の抵抗によって、敵兵も1万2千の犠牲者を出したのです。
理解し、受け止めるのに時間のかかる「重いテーマ」が続きましたね。
次は、今年の靖國神社 周辺を!
毎年恒例、警視庁
私が歩いてきた道。
水道橋 駅前
右、警察の車 ☝︎
〇〇橋 前
警察官いっぱい。
〇〇通り 前
停車スペースを塞ぐほど。
〇〇橋 周辺
色んな警察車両が見られます
九段下
激しい雨で人は少なめ。
毎年の事ですが、警備スゴイ。
次のページ ☟「靖國神社」
靖國神社のこと
大東亜(太平洋)戦争の犠牲者が祀られている神社 と思われがちですが・・
そうではなく、国に尽くし亡くなった方を祖霊 (英霊) として祀っています。
いつ? 明治時代に建立。
1868(明治元)年 戊辰戦争
1889(明治22)年 英霊の合祀、ほぼ完了
どこ? 東京都千代田区九段下
日本武道館の、道路を挟んで隣「九段坂」
だれが?
境内の売店で売ってる菓子折り、参照 ☟
♪幕末の志士~♬
なに? 幕末維新の改革で
異国の力を見せつけられた日本。(黒船来航)
人は皆、異なる考えを持っています。(攘夷・開国)
大きく変えようとする時、ひとつにまとめようとしても、直ぐに決まるものではありません。(事変)
国を思う気持ちは、みな強い。(佐幕派・勤皇派)
色んなことを経て、(大政奉還・王政復古の大号令)
近代国家になるべく、大改革が起こりました。(明治維新)
考えれば同じ気持ちでも、争いの悲劇。(最たる戦= 戊辰戦争 )
国の礎となった人々(=英霊)の、魂を供養する。こうして、東京鎮魂社 が建てられました。(後の 靖國神社)
どうしたか
多くの血が流れ、日本は大きく変わりました。(中央集権・版籍奉還)
そう、武士の世は終わりを告げました。(西南戦争)
近代化が進むにつれ、戦争の時代へと突入。
国を思う心で 命を捧げた人々を「英霊」と呼びます。
戦争で命を失った人々だけ、祀っているのではありません。
なんのため?御霊の供養
靖國神社は、堅い言葉で「護国の英霊」「国家の守護神」を、手厚く奉斎してるのです。
次のページ ☟「私のつぶやき」
靖國神社と戦争
「第二次世界大戦」内、戦争について、呼び方の違いがあります。
日本の教科書:太平洋戦争
靖國神社:大東亜戦争 (15年戦争)
この戦争を、東アジアの民族による共存共栄のため=「大東亜共栄圏の建設」とするからです。
私は一貫して「戦争」と表記しました。
靖國神社と私
私は毎年、靖國神社を訪れています。少額ですが、寄付もしています。☟こんなのもらえる。
【崇敬奉賛会・特典】
・遊就館 入り放題 (入場料無料)
・会報&案内が送られてくる (メール・封書 両方)
・飲食店&売店の商品 10%引き
他、いろいろ。
行ける限り、イベント(初詣・みたままつり・終戦の日など)にも参加。
終戦の日と私
終戦の日には、毎年 靖國神社を参拝。
多くの参拝者が訪れ、 九段下駅 の辺りから行列ができます。
終戦記念日、正午頃
11:53 国歌斉唱
12:00 黙祷
12:01 陛下のお言葉
早く来ないと、黙祷 までに参拝を済ませられない場合もあります。
黙祷 とは
1945(昭和20)年8月15日正午、神聖なる玉音放送(天皇陛下の声)で、日本国民は終戦を知った。
その事から終戦の日の正午、戦争の犠牲となった方々 への黙祷を捧げる。
今年の和歌
年あまたへにけるけふも国のため手きずおひたるますらをを思ふ
昭和天皇 御製
疾病軍人のうへを思いて(昭和五十七年)
※ 拝殿前に掲げられた和歌、日々変わる
あとがき
娘が中学生まで、皆を連れて行くのが恒例でした。(現在は1人)
夏休み期間、遊就館では中学生まで入場料・無料、私も無料(会員なので)。
終戦の日にお参りして、遊就館を周って、上映される「氷雪の門(樺太・真岡郵便局の悲劇を映画化)」を観て過ごした、懐かしい思い出です。
有名すぎる、靖國神社
複雑な問題を背負わされ、神社に対し 肯定・否定的な意見など様々。
靖國神社の話は、私のような無学で書けることなどあるのだろうか。
それでも 私が今まで参拝し、娘達に話して聞かせたようなことを書いても良いのではないか?と考えるようになりました。
恐れず、私に書けることを書こう!と決意。
難しい事を並べ連ねるのではなく、生の声で書いてみる。
「右」も「左」も分からぬ 浅はかな人間ですが、私の大切な時間をまとめてみました。
先導するような文章にならないよう心掛けましたが、どうか皆さま 私の書き記すものだけでなく、色んなものを見て、聞いて、感じて、ご自身の頭で考えてください。
この記事が、ひとつのキッカケになりましたら幸いです。
読者 情報
桜花 への認識違い
桜花は距離は短いけど、ロケット推進で自力で飛べます。攻撃機にぶら下げて敵の近くまで運んだと書いてあるのを誤解したのです。桜花についてはもう一度資料を調べて下さい
⇒コメント・ご指摘、ありがとうございます。感謝いたします。
桜花について、改めて確認いたします。
靖國神社の「伝えられない部分」
・西郷隆盛が祀られていない
・昭和天皇が、参拝を止めてしまった
⇒ご教示ありがとうございます、感謝いたします。
私自身、コメントを頂くまで存じ上げませんでした。これからも学び続けます。
お願い
いつも「旅行と歴史」をお読みいただき、ありがとうございます。
執筆に専念し書いておりましたが、そろそろ資金が乏しくなってまいりました。
恐れながら、皆様からのご支援・ご協力を賜りたく存じます。
【救援のお願い】
趣旨:「旅行と歴史」では、ブログ運営・面白さ追求・記事の充実を図るため、皆さまからのご支援を賜りたく存じます。
対象:個人・企業・法人・団体、どなたでも大歓迎!
期間:随時、お受けいたします。
使途:ブログの運営など
Amazon ほしいものリスト
https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/TXHRE828URBK?ref_=wl_shareURL掲載の物資をお贈りいただきましたら、有効に活用させていただきます。
この情報配信に対し、皆さまに楽しんでいただけるよう更なる努力をしてゆく所存です。
今後とも、どうぞ よろしくお願い致します。
私が書く作品に、完璧はありえません。
努めて更新していますが、どうか 皆さまからのご指摘、お寄せください。
参考
書籍
戦争というもの
面白いほどよくわかる 太平洋戦争
小説
永遠の0
零戦
漫画
私の八月十五日
不死身の特攻兵
紫電改のタカ
※以上、筆者 全所有
概要
靖國神社
住所:東京都千代田区九段北3-1-1
交通機関
電車
最寄り「九段下駅」「飯田橋駅」「市ヶ谷駅」
【JR】
中央・総武線(各駅停車)「飯田橋駅」または「市ヶ谷駅」徒歩10分
【東京メトロ】
東西線・半蔵門線「九段下駅」徒歩5分
有楽町線・南北線「市ヶ谷駅」徒歩10分
有楽町線・南北線・東西線「飯田橋駅」徒歩10分
【都営線】
新宿線「九段下駅」徒歩5分
新宿線「市ヶ谷駅」徒歩10分
バス
都バス「九段上停留所」徒歩1分