時は幕末、前代未聞の暗殺事件『桜田門外の変』が起きた。
将軍の住まう江戸城の門前で、日本の政治家のトップである大老が殺されてしまう。
Oh, JAPAN? wow, サムライ??
世界を驚かせる前代未聞の大事件であった。
事件の被害者となったのは、井伊直弼。
司馬遼太郎による批評を見てみよう。
斬り殺された井伊直弼は、その最も重大な歴史的役割を、斬られたことによって果たした
「幕末」より
一流の歴史作家はなかなか酷い。読み進めるとますます、井伊直弼が悪役になってくる。
歴史も、彼をそのように見做すのか…?
いや、善悪は自分の頭で見定めたい。
作家志望の私は「井伊直弼の人生」を書いてみることにした。
幸せな少年時代
井伊直弼は、彦根藩 第11代当主・井伊直中の十四男として誕生。
直弼の生まれた時、父・直中は既に隠居の身。彦根城の傍に美しい御殿を増築し、余生を送っていた。
直弼はこの時の末子として、父に可愛がられ育ってゆく。だが直弼5才の時、母が亡くなってしまう。
直弼の生母は、富という。美しく賢く、江戸出身ながら藩主の直中に付き従い、終生愛され続けた女性である。
直中と富の間には子が3人授かり、みな男の子。
直弼には兄が2人居て、①長兄は彦根藩の跡取りとして江戸に行き、②次兄は藩主の養子となって彦根を出た。
残った直弼は、さぞかし溺愛の波に溺れていたことだろう。
直弼の幼名は「鉄三郎」
母・富が亡くなった後に三郎、三番目の子の名前が付けられている。赤子の時の名は「鉄之助」といった。
直弼は後に、良くも悪くも鉄の信念を持つ大老となったのだから、鉄とはよく言ったもの。
しかしこの時、誰が直弼の立身を考えただろう。
この母亡き後、運命の異母弟が誕生する。
兄を差し置き、埋木舎から出て他藩の藩主となってしまったアイツがコイツなのだ。
父は寂しくなったか、お富亡き後、おとねが最後の子を産む。
若き直弼を深く傷つける話については、中編で詳しく書いてゆく。
さて、一回りほど時が過ぎ、今度は父・直中が亡くなった。
直弼が17才の時のことだった。
ご隠居が居なくなったら、その子らも御殿を出なくてはならない。
さらに彦根の藩法では、世子以外の子ども達の未来は限られていた。
このようなもの。
⑴ どこかの大名の養子になる。
⑵ 三十五万石、彦根藩・井伊の家臣になる。
⑶ わずかな捨扶持で、部屋住みとなる。
そのため、直弼はこの異母弟と共に御殿を出て、城郭内の小さな在所「埋木舎」で暮らすこととなる。
一体コレは、どういうことか? 彦根井伊家の祖・直政から辿ってみよう。
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