京都の素晴らしさを、書いてみたいと思う。
わたしのこと
京都へ
京都の旅、この日は関西の歴史仲間とのオフ会。
祇園四条から山を少し登ったところにある京都・東山『圓徳院』を訪れた。
誰の寺?
ここは、豊臣秀吉の正妻・北政所が建てた寺である。
寧々(ねね)とも呼ばれた彼女はとても慈悲深く、夫・秀吉の冥福を祈るために、この寺を建立した。
この記事では、彼女の呼び名を寧々で統一する。
圓徳院に見る、秀吉
圓徳院の中には、秀吉を偲ぶものがいくつも見られる。
たとえば、この屏風。ご覧のとおり、キラキラと金粉が塗られている。
秀吉は、黄金の茶室を築いてしまう『きんきらきん』にさり気ない男。
夫の趣味を亡き後も継ぐのはすごい。夫への愛というより、寧々も金が好きだったのだろうか?
圓徳院、奥の細道
細い廊下を奥へと進んでゆくと、静かな庭園と茶室がある。
ここで、現代の私達も抹茶をいただく事ができる。
歴史ロマン、三英傑
寧々は秀吉の妻であり、あの信長に可愛がられ、あの家康とも交流が深かった。
この縁側で、私達は三英傑さながら、お茶を楽しめるのである。
寧々と信長
信長が、寧々に書いた有名な手紙がある。検索ワード『剝鼠(はげねずみ)』
秀吉のことを貶めつつ、寧々を立てた素晴らしい内容なので紹介したい。
今の近江八幡に位置する、信長の在所・安土城。
そこへ素晴らしい土産をたくさん持って会いに来た寧々に、信長はお礼を書いている。
この度、安土城にはじめて尋ねてくれて嬉しく思う。土産の数々も美しく見事で、筆ではとても表現できない程だ
この書状は、国重要美術品として現存している。1581(天正9)年頃のもの。
そなたの美貌も、いつぞやに会った時よりも、十の物が二十になるほど美しくなっている
十のものが二十になる美しさ、という説明は出来ないけれど、手紙の主の、女性への配慮を感じる。
そなたほどの女性を、禿鼠(秀吉)は見付けることができないだろう
現代の人にも読んで欲しい信長の言葉。自分にとって最上の人を見つけ、大切にすることを説く。
そして、次は寧々への諫言。
これより先は身の持ち方を陽快にして、奥方らしく堂々と、やきもちなどは妬かないように
男心、夫の気持ちを掴むテクニック。すごいぞ信長。続いて‥
ただし女房の役目として、言いたいことがある時はすべて言うのではなく、ある程度に留めて言うとよい
妻だからこそ伝えられること、言わねばならぬこと。しかし言い過ぎてもいけない、かかあ天下ではなく、決めるのは夫とすべきである。
この手紙は、羽柴(秀吉)にも見せること
信長は、夫婦の一方だけを味方するのではなく、両方を戒めつつ、思いやりに満ちている。
オフ会、名ガイド
さて、この日の案内人・Yさんのことにも触れよう。
黒髪ボブで清楚美人、そして普段は英語ガイドをしている彼女は、この旅でとても素晴らしい京都の歴史を案内してくれた。
片手に持つノート、その中にびっしりと書かれた情報。ここの仲間は、各々の自己研鑽がすごい。
彼女は言う。
ここはね、穴場なの!抹茶のお代も相場より安いし、和むし。お気に入りの場所なんだ
( 実際は関西弁)
私はむしろ彼女のそのひと言こそ、癒しを感じた。寛ぎ、和み、歩き疲れた皆への休息時間。思いやりに満ちている。
2間の和室で16名の仲間達と、しばし歓談。この人数が入れるように考えてくれたのも、優秀な案内人の優しさである。
この茶室は、寒くもなく暑くもなく、心地よい風がフワッと吹き抜け、自然の音が優しく聞こえた。
目の前に広がる白い石、緑の木々。この高台寺ではまもなく紅葉が始まるのだろう。
ご相伴の抹茶
抹茶は辻利、茶菓子は秀吉に因んだ千成(せんなり)。
ちょこっと金粉が乗っかり、豊臣秀吉の馬印・千成瓢箪(せんなりびょうたん)のような形をしているのが微笑ましい。
関西の三英傑
私は、関西の友人が家康を嫌っていることを知って驚いた、という話をしてみた。
関西ではなぁ。太閤さん言うて、秀吉のことを慕っとるねん
三英傑でも、土地によってこれほど思い入れが変わるのか。
そうそう。家康は呼び捨て、太閤さんは、サン付けや!
この圓徳院も、私が考えるよりもずっと、土地の人の気持ちは深いのかもしれない。
あとがき
読者からの情報
圓徳院、無料で入ってます(^^)v夏は冷やし飴、それ以外の季節は昆布茶の接待付き。もうすぐ石蕗が綺麗な季節になります。
高台寺は紅葉が綺麗ですね。そこから少し坂を登ると、護国神社、坂本龍馬、中岡慎太郎のお墓があります
圓徳院と高台寺はセットで拝観をするので間違えても致し方が無いです。両方とも素敵な場所です。高台寺の方が有名ですが、圓徳院も味合いがあり、素敵な場所でした
高台寺の近くに新選組より分裂の伊東甲子太郎御陵衛士屯所あり坂を登ると坂本龍馬や幕末の志士がねむっている霊山護国神社あります
出身尾張で自称歴女です。興味深く拝読させて頂きました。家康さんは影薄いですね🤣 家康と言えば 名古屋城より岡崎城。名古屋に可愛い子が少ないのは、家康が江戸に可愛い子を連れていった笑 大阪は戊辰戦争の時、徳川慶喜が逃げ出した後の混乱で焼失したとか、家康もですが徳川家が嫌われているかもですね・・・
上にある高台寺の観光化された庭より、圓徳院のねねのお庭は風情があって私も好きです。
わ、、、感動します。観光と勉強両方できる~素晴らしい。
京都は、女性の似合う。古都、お寺さん、町並み、料理 おもてなしの心有り
うわ〜!京都に4年もいたのに行った事なかったッス。拝読して面白かったし行ってみたくなりました。
(Facebook・Twitterにて、受付中!)
お願い
いつも「旅行と歴史」をお読みいただき、ありがとうございます。
救援のお願い
恐れながら、皆様からのご支援・ご協力を賜りたく存じます。
PayPay ご寄付
お送りいただいた PayPayマネー は、「旅行と歴史」の執筆に充てさせていただきます。
この情報配信に対し、皆さまに楽しんでいただけるよう更なる努力をしてゆく所存です。
今後とも、どうぞ よろしくお願い致します。