2021年大河ドラマ「青天を衝け!」の史跡巡り。
ブログをはじめて1年、リライト(記事の書き直し)に挑戦っ!
わたしのこと
青天を衝け!紀行 ~その1~
渋沢栄一の史跡と言えば・・中の家(なかんち)♬
大河ドラマの主役となった、渋沢栄一の生家です。
場所は、埼玉県深谷市 にあります。
交通アクセス
上野駅から深谷駅まで、乗り換えなし一本。
上野駅 ⇒ 深谷駅
JR高崎線、約1時間半、運賃:¥1,500‐弱(片道)
さらに、深谷駅から「論語の里」循環バス に乗り換え。
深谷駅 ⇒ 中の家(なかんち)
「論語の里」循環バス、乗車券:1日500円/1回250円
※循環バスの運行は、2022年1月10日まで。(´・ω・`)ザンネン
青淵 翁
中の家(なかんち) に、やってきました。
「青淵翁 誕生之地」とあります ☟
平日も 観光客チラホラ。しかし、ポーズ決めてるのは私だけ。
青淵(せいえん)とは
青淵って、何だぃねぇ?
おっと、武州言葉が出ちまったダニ。
青淵とは、渋沢栄一の雅号。今でいうペンネームですね。
青淵(せいえん)の由来
中の家(なかんち)の裏手 ☟ に、小さな川が流れてまして。
川の水は自然ろ過されて(伏流水) 美しいことから、清水川(しみずがわ)と言われていました。
土中の流れは中の家の池に沸き上がり、その青い淵から”青淵”。
繰り返します。青淵とは、渋沢栄一のペンネーム。
名付け親は、尾高惇忠。
渋沢栄一の師であり、妻・千代の兄(義兄)。田辺誠一が演じていた、兄いです。
尾高惇忠 の雅号は ”藍香(らんこう)”。これまた風流。
それでは「中の家(なかんち)」へ行ってみましょう!
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中の家 (なかんち)
そろそろ、ふりがな 外しますよ・・なかんち って、読んでくださいねw
建物でみる 中の家
デデーーッン!!
現存する 中の家 の建物は、渋沢栄一の妹・てい が建てた家。
渋沢栄一でなく、妹が婿を取って、中の家を継ぎました。
このハナシ・・辿ってみますと。
渋沢栄一の父・市郎右衛門。あの「とっさま」も、中の家のお婿さん。
この 血洗島 って土地に行きますとね。
中の家だけでなく、東の家、西の家、前の家、遠前の家、新屋敷、といった渋沢家の親族が並んでいます。
そして、中の家 に生まれた娘は、渋沢栄一の母・えい。「かっさま」
渋沢家の親族
本家:中の家
中心の家で、中の家。つまり本家。
ですが、大河ドラマに「(伯父の)宗助さんの方が金持ち」なんてセリフが出てきます。
宗助オジサン☟ こんな人を覚えてますか?
宗助さんは 東の家(ひがしんち) の当主。
東の家は、一族の中でも 商売上手 だったようで、本家を超える金持ちとなっていきました。
東の家の兄弟
ドストエフスキーを、思い出させるようなタイトル。
東の家の兄弟
長男・東の家:宗助
次男・新屋敷:文平(文左衛門)
三男・中の家:元助(安邦/新七郎)
そして娘・やゑ は 尾高家に嫁いで、惇忠、長七郎、お千代、平九郎 を産んでいます。
市郎右衛門とは、中の家 当主 のこと。
栄一の父の名前は、元助( 新七郎/安邦)” と言います。
そして 文平が、喜作のパパ。従兄弟とは、父方なのです。
この渋沢栄一のパパ「とっさま」は、東の家に次ぐ 財産を築き、家を再興させました。
この父の子、だからこそ・・渋沢栄一なんですっ
渋沢栄一は、金持ちにございまするっ
渋沢栄一の生家、とっても大きいです。
ドラマの中の「(渋沢栄一は)武士じゃない」みたいなセリフ、覚えていますか?
渋沢栄一は、農家であり商人に生まれた、お坊ちゃま。
特権階級
江戸時代の身分を表す言葉として、士農工商がありますよね。
士農工商 とは
1位 武士 (皆を守るんだから、偉いだろっ)
2位 農民 (米を作ってるんだから、偉いだろっ)
3位 職人 (物を作ってるんだから、偉いだろっ)
4位 商人 (皆の仕事をお金にするんだから・・)
1位と2位、差は「苗字」。
苗字帯刀と言って、武士にしか苗字はなく、刀を持つことも許されませんでした。
しかし、一部の農民や商人は、苗字帯刀を許されてたりするのです。
はい、”渋沢” は、苗字ですよね~っ
ちなみに、渋沢栄一の血族は ”澁沢” と書くそうです。現地の人が教えてくれました。
次のページ「渋沢家の事業」へ ☞
中の家(なかんち)の商い
渋沢家は、農業&工業 を営んでいました。
- 養蚕
- 染料(藍玉)
- 雑貨
- 質屋
生産から販売まで、手広く事業を行ってまして。
血洗島の立地 に、注目! 利根川のすぐそば。
この辺り、水は豊かでも、土に砂が交じって 米が採れない土地 なんですね。
渋沢家は考え考え、砂礫(されき)の土地に適した桑の木で、養蚕を始めました。キラーン
桑の葉を食べるのは お蚕様、絹(シルク)製品の産業です。
オカイコサマ たぁ、このことダニっ
製品の運搬は、利根川で 血洗島 ⇒ 江戸まで 楽に行けますからね。
金持ち渋沢家は、絹だけでなく木綿も手がけます。
これが 木綿の染料となる 藍玉つくり☟
藍の葉を発酵させ丸く固めて販売し、米はなくとも、金持ち〜っ になっていきました。
渋沢家の土蔵
渋沢家は金持ちですから、土蔵がとにかく多い。
見てみましょう・・
①コレ
②ソレ
③アレ
④ホレ
わーぉ。
金持ち、だんべ~っ
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金持ちの家
こちらの部屋は、正門からよく見えるところに位置します。
金持ちあるある、錦鯉の泳ぐ池。
広い 敷地。
裏側も広いです。
栄一を泊めた部屋に
元々の家は、明治25年に焼けてしまいました。
現存の家は、てい夫妻が新しく建てたもの。
築年数:明治28年から現在
西の奥の部屋には、他の部屋よりも良い材質が使われています。
あっ!栄一さん?
実はこの人形、渋沢栄一のアンドロイド。
2020年、完成。
大河ドラマ開始に間に合わせた感!
資金援助:鳥羽会長(ドトールコーヒー)
技術指導:石黒 浩(大阪大学 教授)
このアンドロイド、2体ありまして。
もう1体は、渋沢栄一 記念館にあります。
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副屋
正門 の東に 副屋(ふくや) がありましてね。
服屋ではありません。
藍玉の取引をする店として、使われていました。
農業協同組合の場や事務所など、地元の交流場所としても、活用しました。
オマケ
縁側で日向ぼっこ。
三段バラ・・ に見えますが、服のシワだと信じたい。
青淵 公園
中の家(なかんち) の裏手。
渋沢平九郎の碑
血洗島のイケメン、句碑。
父・晩香
とっさま・・(号泣)
渋沢栄一 生地
ココ、裏手か…?
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あとがき
楽しみにしていた 中の家(なかんち) で、みやびがしたこと・・
さて、休みも取ったし。血洗島の旅を続けましょう!
読者からの情報
武州・忍城
映画「のぼうの城」の近所ですね
⇒ 「武州・忍城を討ち、武功を立てよ!」と秀吉さん。映画タイトルは、でくのぼう藩主から 「のぼうの城」ですが、元々は「忍ぶの城」だったそうですね。(wiki情報で、ニワカです・・) DVDは持っているので、観てみます!
谷中霊園から移された墓
谷中の渋沢栄一の墓(乙11号1側)は、かつては(そんな前じゃないですが)塀に囲まれた渋沢家の墓所でしたが現在は大半が整地されて、中の家の方に移されたと聞いてます。
⇒ 深谷を歩いて、あちらの墓所は特徴的だった印象があります。墓事情も、興味深いですね!
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