東京都港区にある愛宕神社で、有名な「出世の石段」を登ってきました。
わたしのこと
愛宕山
都内で一番高い自然の山
標高26メートルの山頂にある神社は、険しい階段を上って境内に入ります。
男坂(出世の階段)
大鳥居をくぐると直ぐ、八十六段から成る「出世の石段(男坂)」
登り切って振り返ると、クラクラしました。急勾配で高い石段で、傾斜40度。
石段・出世の理由
ここが「出世の神社」と呼ばれる理由。
曲垣 平九郎(まがき へいくろう)と言う馬乗りの上手な人物が居りまして。
徳川三代将軍・家光は、先祖の墓(菩提寺・増上寺)の帰り道にある高い山の梅を見て
「誰か、あの梅を取ってこい!」と命じました。
いくら殿様の命令でも、40度の急斜面なんて馬で登れないじゃないですか‥
家臣は「無理だよ」「無理に決まってる」「何言ってんだよ」
そう思っていたであろう、誰もが下を向いて応じなかったんですね。
すると、曲垣 平九郎。
この急な階段を馬で登り、梅を取って殿様に渡しました。
「あっぱれ!」
(講談「寛永三馬術」)
その梅、コチラ ☟
1634年2月25日(寛永十一年正月廿八日) 曲垣平九郎、時の将軍・家光に梅の枝を献上
馬・駆け上がり成功者
出世の足掛かりとなるほど険しい石段。
実話とは思えない‥
でも、江戸以降にチャレンジした人も成功しているんです。
【馬・駆け上がり成功者】
明治15年:石川清馬
大正14年:岩木利夫
昭和57年:渡辺隆馬
次はコレを着て行きたい ☟
大鳥居
神社の入り口は、鳥居の先にある出世の石段が目印
愛宕神社の大鳥居は「防火水槽」の標識が目立ちます。防火の神様 でもあるのです。
次「あとがき」「読者コメント」☞
あとがき
愛宕神社は、江戸幕府が開かれた1603年に建立されました。☜ 関ヶ原の戦いからすぐ
防火の神様、全焼
幕府から下附金を賜るなど、愛宕神社への尊崇は篤いもの。
江戸時代、大きな火災が何度もありまして。明暦の大火、丙寅の大火などで 愛宕神社 は焼けてしまいました。
時代が変わり、明治・1877年に再建。大正・関東大震災、昭和・東京空襲によって焼失の憂き目に遭遇(涙)。しかし氏子中の寄付によって復興し、現在に至ります。
防火の神様は火事で何度も無くなりましたが、皆の思いが形になり、復活したのですね。
みやび拝
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概要
愛宕神社
住所:東京都港区愛宕1-5-3
電話:03‐3431-0327 (ご祈祷予約など)
社務所の受付時間:9:00~17:00
御祈祷の受付時間:10:00~15:00
高さ:海抜26m
広さ:1750坪 (境内)、6,000坪 (愛宕山)
鎮座:1603年 (関ヶ原合戦の後まもなく) ※鎮座=神霊がしずまったこと
総本社:京都府京都市右京区
交通アクセス
【電車】
東京メトロ日比谷線「神谷町駅」「虎ノ門ヒルズ駅」徒歩5分
東京メトロ銀座線「虎ノ門駅」徒歩8分
都営三田線「御成門駅」徒歩8分
JR「新橋駅」徒歩20分
【バス】
都営バス「虎ノ門三丁目」下車
東急バス「愛宕山下」下車
東京慈恵会医科大学のすぐそば、徳川将軍家の増上寺のすぐ北
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